川崎エッセイ  伊丹の果てから 南野の神社  川崎サイト

 

南野の神社


 秋になると村の鎮守の秋祭りを思い出す。鎮守の森といっても、南野の神社は森と呼べる規模ではない。田園の中に小島のように浮かんでいる小さな緑地地帯だ。
 しかし、この森は子供の頃には広く大きく見えた。それは神社の周囲にも農家の庭に大きな木が生えていたし、今よりも樹木が多かったため、繁みを大きく見せていたのだ。
 今でもたまに夢の中で、この森が登場する。見晴らしのいい田畑と違い、神社近くの小道や農家の路地は、迷路のように入り組んでいるため、子供心に「恐ろしい場所」の印象を抱いていた。
 セミ採りも新伊丹の住宅地と違い、南野神社近くでは本格的な自然と対峙することになる。老木の根が地面と接するあたりに、妙な穴が空いており、
「あれは蛇の巣やで」
 と、年上の少年に脅かされた。そのため、その前を通る度に蛇が鎌首をもたげて襲いかかるのではないかと、怖がったものだ。蛇と木の根が似たような曲がり方をしているため、蛇ではないかと目を凝らして観察したものだ。
 南野は真っ平らな場所で、上り坂も下り坂もないのだが、境内の森だけは山のような急勾配があった。笹とかに掴まりながら、その山(実際には2メートルぐらい)を登ると、結構遠くが見えた。見渡す限り田畑で、隣村の野間まで家はなかった。
 眼下に広がる田畑は南野村なのだが、その果てはこの世の果てを見る思いだった。
 先日、その山を見に行くと、崩されていた。そして愛宕神社の小さな祠だけが、ぽつんとあった。当時は犬小屋か納屋程度の認識だった。
 その祠の後ろにそびえる大木は今も残っているが、いうほど大きくはない。この木にクマゼミがとまっており、それを捕まえるだけの長い竿がなかったことを思い出す。子供の頃に比べると、木も森もずいぶんと小さく、何処にでもあるような、ありふれた神社になっている。もっと神秘的で奥深かったのだが。
 異境として映っていた遙か彼方も、今では分譲住宅が建ち並び、海のように広かった田畑も、まるで埋め立て地のようになっている。昔の面影は僅かしか残っていない。神社の森が最後の砦かもしれない。神社の裏にそびえる神木は、昔と同じ形をしている。


 南野村の秋祭りは、太鼓の音で知ることが出来た。ドーンドーンと聞こえてくると、御神輿の練習が始まったことが分かる。学校から帰って来て、神社へ行くと、境内に露店が出ていた。
 普段は誰も人が来ないような境内に、大勢の人が集まっている。もちろん今は露店など出ない。出たとしても町内の人が出す模擬店だ。それでは神秘性に乏しい。やはり学校の前に出ていた「ひよこ売り」のおじさんとか、紙芝居のおじさん的なプロの人でないと、身元が分かった村人達では雰囲気が出ないのだ。
 十円で玉を借り、パチンコをやった覚えがある。こんなことをするのは祭りの日だけだと思っていたが、大人になると毎日でもパチンコ屋へ通えるので、都会は連日祭りのようなものかもしれない。
 さて、ここまで書いてきて、ふと思ったのだが、この神社には別に伊丹らしい特徴はない。むしろ伊丹市というまとめ方そのものが最近のもので、この神社が出来た時代、この一帯は別の共同体に属していたはずだ。その意味で村落単位の歴史は、伊丹市とは関わりなく、もっと独立したもののように思える。伊丹という地名が出来る前からあったような村落の歴史を、もっと感じるべきだ。また、自分が生まれた氏神様がいる鎮守の森は、単位としては一番自然な範囲なのかもしれない。
 村人根性では広い世界では通じないと言われているが、村落内だけで暮らせた時代のほうが、分かりやすい。ID番号や認証番号などなくても、顔を見れば、どこの誰だか分かる。
 村落内の人を内部の人間だとすれば、外から来た人は外部の人間になる。しかし、今は外部の人の方が多い。
 伊丹市内ではもう素朴な村など存在しないが、村を求める気持ちはどこかに残っているのか、インターネット上に出来るサイトが村に見えてしまう。
 ひよこ売りのおじさんの神秘は、ネット上で再会することが出来る。今の最先端のメディア類も、所詮は失ったものを復活させているだけだ。
 蛇が出そうな老木の根本で、怖々セミを捕るような感じや、突然出現するパチンコ店に対する驚き。すべての根本は、このあたりで既に体験済みのような気がする。

 


1998/7/15


 

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