川崎エッセイ  伊丹の果てから 武庫川  川崎サイト

 

武庫川


 伊丹市には海がない。従って海水浴は市内では出来ない。子供の頃は西宮市の香枦園(こうろえん)へ泳ぎに行っていた。この浜は夙川の河口にあり、今でも砂浜は残っている。しかし泳げない。僕が最後にこの浜に行ったときはコールタールやゴミが浮き、とてもではないが泳げるような状態ではなかった。そのため、神戸の須磨や大阪の助松へ行った。
 伊丹市内では海水浴は無理だが、川で泳げた。伊丹には大きな川が二つある。猪名川と武庫川だ。
 僕の住む近所の田圃は、武庫川から水を引いている。近所のどぶ川も、正式名は「昆陽川」となっている。この川が昆陽池から来ているのか、武庫川から来ているのかは、今度調べてみるつもりだ。
 余談だが、近所のどぶ川をさかのぼったとき、それが緑が丘が水源だったことがある。わき水が出ているのだ。これも、もう一度調べることにする。
 さて、昆陽池の西にある昆陽寺は、武庫川へ泳ぎに行くときの休憩所だった。このお寺の西に農道があり、それが武庫川まで続いている。171号線(西国街道)を通れば一気に武庫川へ出られるのだが、排気ガスで夏場は息苦しく、暑い。それより農家や田畑を見ながら、車の通らない農道を行く方が、涼しい。
 その夏、僕はまだ小学生だった。近所の親子が武庫川へ泳ぎに行くと言い出したので、僕の家族も同行した。母は自転車に乗れなかったので、バスで昆陽寺まで出て、そこから徒歩で武庫川へ向かったように記憶している。
 当時、武庫川は遊泳禁止ではなかった。その後「雨が降ったあと、川底の深さが変わるので危険です」などの立て札が出ていたようだ。
 武庫川の河原に更衣室やシャワー施設があったわけではない。草むらの中で、適当に着替えていた。今は自動車教習所になっている辺りだ。
 この辺りの武庫川は、それほど深い場所はなかった。むしろ浅すぎて泳げないほどだ。雨が降るとさすがに増水するが、水も濁っているため、泳ぐ気にはなれない。
 一応普通の伊丹市民の二家族が、普通の顔をして武庫川で泳いでいたことが、今振り返ると不思議な気持ちになる。
 この場所は近所の中学生のお兄さんが発見しており、水鳥の雛を持ち帰っている。それを聞いていたので、草むらの中に雛がいるのではないかと、探したものだ。
 武庫川まで歩いて行けないわけではないが、小学生には無理だった。
 武庫川のこの土手を「一本松」と近所の人は呼んでいた。確かに松が生えているのだが、どの松が一本松なのかは特定できないままだ。この場所から対岸を見ると、甲山が鮮明に見える。
 武庫川での遊泳といっても、実際に泳げるのは十メートルほどで、すぐに浅瀬に出てしまう。そのため、殆ど水浴なのだ。
 駄菓子屋で買った水中眼鏡をつけて潜ると、魚が手づかみ出来るほど豊富にいる。糸ミミズかと思っていたら、それが鰻の稚魚で、持ち帰って育てれば、鰻の蒲焼きが食べられると思い、必至で捕獲したものだ。
 エビガニには目もくれなかったが、川蟹が珍しく、それもいっぱい捕獲した。
 泳ぎ疲れると、コンクリートの上で身体を乾かした。近所の一家がアイスコーヒーを魔法瓶につめていて、それを一口飲ませてもらった。その日泳いでいたのは僕達だけなので、貸し切りの遊泳場だった。こういう「野生」が当時まだ残っていたのだ。これが地方公共団体とかで施設化してしまうと、安全な場所になるかもしれないが、親が親として外敵に備える動物的気配りとかも薄くなるだろう。野生の場は子供にとっても言いしれぬ恐怖と隣接しており、それがスリルを呼ぶのだ。そんなに遠くまで出かけなくても、身近なところに、こんな場所があったのは今でも驚きである。
 武庫川の帰り道、農道沿いに駄菓子屋さんがあった。昆陽寺のバス停とのちょうど中間に位置している。そこで、かき氷を食べた。
 母は、このときのかき氷が一番おいしかったと、今でも夏になると必ず一度は言っている。これもまた、このグルメ時代に、ありとあらゆる手を尽くした食べ物があるのに、普通の駄菓子屋のそれに勝てないのは、どうしてだろう。ハイキングで、やっと登り切った頂上で食べるおにぎりがおいしいのと、同じ理屈かもしれない。
 その後、僕は父の自転車に乗せられて緑が丘の市営プールに行った。しかし、あの武庫川で泳いだ状況には勝てない。泳ぐという行為は同じでも、それ以上の何かに接していたように思う。


1998/6/27


 

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