小説 川崎サイト

 

抜き技

川崎ゆきお



 吉田の生き方はふつうだ。しかし、その内面はかなりコントロールされている。誰がやっているのかというと吉田自身だ。しかし、一見そう見えないところに上手さがある。だが、その上手さも見せない。
 まず第一に目立たない。特徴や、個性もほとんどない。ないわけではないが、際だっていないため、特徴や個性という言葉にはならない。
 吉田は持っている力の半分ほどしか使っていない。100できるところを50で押さえている。本当は倍できるのに、半分なのだから、一日働いても半日分だ。だから、疲労度は少ない。
 仕事に対する熱意はない。だが、怠けているようには見せない。どちらかというと懸命にやっているように見せている。
 本心から一生懸命にやっていないが、そのふりだけはできる。
 吉田はこの技を身につけたのは、あるミュージシャンのドキュメントを見てからだ。たったそれだけのことで、切り替えることができた。
 そのミュージシャンは自分の生き方や、自分の歌い方を追求し、いろいろ悩みながら、精一杯の努力をし、あらゆる工夫をやっていた。何よりも真摯な態度で、情熱を失わず、自分らしい道を究めようとしていた。見る者は、それを知ることで、そのライブシーンが倍ほど魅力的に感じられた。
 吉田はそれを見た一人だが、感動を覚えなかった。裏話を聞かなかったつもりで、ライブシーンを見ていたためだ。あまり変わらないのである。
 ただ、ヒントを得ることはできた。懸命さ、真摯さを見せるふりを。
 ただ、それは見破られる可能性がある。
 それは、ちょっとした仕草で出るのだ。何でもない仕草で出る。そこで、吉田が考えた作戦は、大きなふりではなく、小さなふりに集中することだ。
 そして、吉田は余裕を持って生きることができるようになった。人の半分の力で生きている。それでいて、一人前の生き方レベルにはなる。まあままの及第点が得られるレベルだ。
 しかし実際には、半分の力で、そこに達せられるのだから、本当の実力はかなりのものなのだ。それを見破られないように、必死でやって、この程度だと思わせるような演技が必要だった。
 つまり、吉田は、高い得点を出すのが目的ではなく、楽にこなせることに熱心なのだ。

   了


2009年7月16日

小説 川崎サイト