小説 川崎サイト

 

沢庵煮

川崎ゆきお



 宮田老人はやることがない。だが、一人暮らしなので、自分のことは自分でやらないといけない。だから、全く何もやることがないわけではない。
 だが、会社へ行っていた頃を思い出すと、有為な行為から遠ざかっている。
 では、会社の仕事に意味があったのだろうかと考える。小さな家電メーカーで、今はもうつぶれてしまったが、そこで作っていたアイデア商品は、あれば便利だが、なくてもかまわないものばかりだった。
 宮田は新製品の開発部門にいた。そのころの熱気は今の宮田老人にはない。
 仕事があったので、熱気があったのだろう。目的があったのだ。
 しかし、その目的とは売れる商品を作ることで、会社がつぶれない為の商品なのだ。
 その意味での有為な仕事だった。
 そう考えると、世間に役立つ仕事でもなく、自分の給料を得るための芸のようなものだったように思える。
 会社は定年後、しばらくしてつぶれた。芸が通じなくなったのだ。ヒットするようなアイデア商品が出なかった。
 つまり、消費者に受けなければ、そっぽを向かれる仕事内容なのだ。
 宮田老人はそんなことを思いながら、今日も近所のスーパーへ向かう。自分が食べたいものを買うだけの話だが、面倒な仕事だ。
 仕事とは、報酬をもらえるためにあると思っている。家事に対しては報酬はない。だから、宮田が考えている仕事ではない。それでも、結構有為な行為であることは確かだ。
 年をとるに従い、動きも鈍くなる。スーパーまでの道を自転車で走るのだが、年々スピードが落ちている。
 また、料理を作る時間も長くなっている。簡単なものを作っているつもりでも、手先が遅い。
 宮田は仕事をしていないので、お金を使わないことが仕事になっている。そのため、外食しないことが仕事なのだ。
 年をとっても、食欲だけはある。おいしいものを食べたいと思う気持ちは衰えない。
 それは贅沢な食材ではなく、子供の頃おいしいと思ったものを思い出して買ったり、作ったりしている。
 昔はまずいと思っていたものでも懐かしさにつられて買ってしまう。
 こういう世界は、内面世界と言ってもいい。自分だけがわかる何かだ。
 その日は沢庵を煮たものを買った。子供の頃、よく食卓に出ていた。
 決しておいしいとは思わなかったが、今ならどんな味わいなのかを試すのが目的だ。
 その結果は、可もなく不可もなかった。

   了



2009年7月17日

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