小説 川崎サイト

 

憩いの家

川崎ゆきお



 前田老人は暇なので、毎日散歩に出かけている。近辺のほとんどの道を制覇した感じだ。つまり、固定したコースではなく、毎日違った道を歩くのが好みのようだ。といっても場所が限られているため、同じ場所に出ることが多い。
 いつも気になる場所がある。高齢者憩いの家と書かれた民家だ。住宅地の中にあるふつうの家だ。年寄りでも見えるように大きな文字で書かれている。
 前田老人は長くこの町に住んでいるが、散歩を始めたのは数年前だ。それでも、そんな看板はなかった。あったのかもしれないし、また偶然、そこを通らなかったので、見つけられなかったのだろう。
 しかし、最近できたのは確かだ。
 高齢者憩いの家ができるまでは、ふつうの家族が住んでいたようだ。建て売り住宅の中の一軒だ。何かの事情で、売り払ったのかもしれない。
 看板に近づくと、玄関は半分開いており、そこにも、なにやら書かれている。
 無料休憩所らしい。どこかのボランティア団体がやっているようで、まあ、無料の囲碁クラブのようなものだろうか。
 前田老人は入ることにした。一息つければありがたいからだ。
 小さな靴脱ぎ場があり、廊下にスリッパが並んでいる。やはりふつうの家なのだ。だが、手すりがあがり場や廊下についている。
 開いているドアから、人が出てきた。
「いらっしゃい」
 前田は廊下に腰掛け「休ませてもらいます」と挨拶した。
「どうぞお上がりください」
 その声を聞いたのか、もう一人スタッフが出てきた。でっぷり太った大男だ。演技なのか、目を細め、笑顔を絶やさない。
「いや、ここでいいです」
「どうぞぞうぞ」
 前田老人は大男に捕獲されるような感じで、和室へ連れ込まれた。
 長いテーブルがあり、座椅子が並んでいる。三人ほど老人がいる。
 その三人は前田老人を見ると、すぐに挨拶する。
 その三人の横の座椅子が前田老人が座るべき席になっているのか、大男が手でその座を指す。
 促されるまま前田老人が座ると、同時にもう一人のスタッフがお茶と茶菓子をテーブルに置く。
「よければ、お名前を」
 スタッフはノートを取りだした。
「いえいえ、ちょっと寄っただけなので」
「はいはい、いつでも気楽に立ち寄ってくださいね」
 前田老人は老眼鏡を忘れたので、ノートに記入できない。こんな用事があるとは思っていなかったのだ。
 スタッフが聞き取り書きした。
 その後、自己紹介が始まり、四方山話で盛り上がった。
 一時間はいただろうか。
 帰るとき、前田老人にスタッフ二人が「また来てくださいね」と、優しく声をかけた。
 道に出た前田老人は疲れがどっと出た。
 そして、「腰掛けるだけでよかったのに」と、呟いた。

   了


2009年7月21日

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