小説 川崎サイト



山羊

川崎ゆきお



 富岡はナイフで山羊の首筋をこするように斬る仕草をする。
「いいか、山羊の目を見て殺さないといけないんだ。そうすれば山羊も覚悟する。見てやらなければ駄目なんだ」
 小学生達の目は真剣だ。
 動物写真家の富岡は小学校から呼ばれて話をすることになった。
 野生の証明という写真集は、動物の表情がよく捕らえられていることで、国際的な賞もとっている。
「いいかい、山羊がかわいそうだと思うのなら、しっかり目を見てやるんだ。それが情けだ。じっと見つめてやると、観念して、死んで逝くのがよく分かるんだ」
 富岡は、そのときのことを思い出したのか、目が血走っている。
 ゾクッと冷たいものが子供達に走った。
「おまえは死ぬが、俺の体の中で、その肉が活かされるんだ。動物はな、悔やみごとや、恨みごとなんて言わない。殺し合うのがルールなんだ。それが自然なんだ。食うか食われるかなんだ」
 子供達は理解しようとしていた。少なくても、ここは小学校の教室で、授業だ。耳をふさぐわけにはいかない。
「そして、死ぬ瞬間、ぐっと抱き締めてやるんだ。命をありがとうと礼を言ってな。山羊から力が抜けていくのが分かるんだ。それを抱きしめることが大事なんだ。それが人間としての礼儀なんだ」
 泣き出す女の子がいた。
「先生はどうして山羊を殺したの?」
 今まで、黙って聞いていた一人が発言した。
「食べるためだよ」
 子供達は山羊など食べたことはなかった。
「お金がなかったの?」
 富岡は質問の意味が分からない。まだ、殺人鬼のような目をしている」
「ご飯を食べるお金がないから山羊を食べたの?」
 意外な質問だった。
「土地の習わしで、山羊を食べるんだ」
「おいしいの?」
「うまくはない」
「じゃあ、食べなくてもいいじゃん」
 富岡は言葉に詰まった。
「山羊の表情を、しっかり見てやるんだ。それが人間としての礼儀なんだ」
「だったら、殺さなければいいんだよ」
 
   了
 
 
 
 

          2006年05月14日
 

 

 

小説 川崎サイト