小説 川崎サイト

 

木の名

川崎ゆきお



 上田はある日、ふと余計なことを考えた。思っただけのこと、気づいただけのことかもしれない。それは散歩中だった。
 いつもの歩道を歩いているときだ。住宅地の中の静かな場所だ。新しく建った家やマンションが今風な風景を作っている。
 上田が気づいたのはそれではない。木だ。
 いつも見ている木なのだが、名前の知らない木が多い。
 上田は木に関して詳しくない。草花に関してもだ。
 分かっているのは桜の木だ。そして、この歩道は桜並木になっている。ところが、桜ではない木も結構植えてある。
 桜は分かる。桜の花が咲くからだ。しかし、秋になると、それが桜の木であるという意識が薄くなる。咲いているときだけは、桜を意識していたためだ。
 桜の木はいい。分かっているからだ。咲いていなくても、桜は認識できる。
 しかし、その他の木は分からない。よく見かける木だが、木の名前を知らない。知る必要がないためだ。
 上田はもう年寄りだ。だからものはよく知っていると思っている。しかし木の名前は知らないし、歩道脇の花壇の草花の名も知らない。
 松と杉は見分けられる。しかし、杉と檜になると、もう駄目だ。檜は知っている。しかしどんな木なのかは知らない。檜の風呂の檜しか知らないのだ。
 草花はチューリップなら知っている。紫陽花も知っている。しかし、人の家の軒下や玄関先に生えている草花に関しては、ほとんど駄目だ。
 上田は、自分はものを知らないのではないかと不安になる。
 草花は種類が多くて分からなくてもいいが、樹木は調べれば覚えられるような気がする。
 どうせ暇で散歩に出かけているのだから、木や草花の名前を覚え、言えるようになれば楽しいだろうと思う。
 そうすれば、桜以外の木に対しての理解度も深まる。知ってるのは桜だけではつまらない。
 そして、得た知識で、他の町内を歩いても、庭先の樹木名が言えるようになれば、ちょっとしたものになる。
 上田はふとそう思っただけで、翌日、そのことはすっかり忘れていた。やはり必要性が薄いためだ。

   了


2009年9月21日

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