小説 川崎サイト

 

ゲーマーの流儀

川崎ゆきお



 ゲーマーの長老がビジネス啓発セミナーに呼ばれた。凄いゲーマーではない。ただ年をとっているだけだ。長年ゲームをやり続けてきたので、その長さから長老と呼ばれている。ゲーマー仲間内での尊敬の意を込めた呼び名ではない。長老然としてるためだ。
 長老は働いたことがない。そのためビジネスの現場を知らない。そういう人を呼んだのは、固有ビジネスの話ではなく、抽象論を話してもらうためだ。ゲームもビジネスになる。だが、長老はゲーム業界のビジネスとは縁がない。ただの一プレイヤーなのだ。
 そして、話し始めた。
「ゲームは長時間に及びます。その間集中力を維持することは困難です。だから、適当に戦います。決して精一杯やらないことです。ミスも犯します。これは注意深くやれば起きないミスです。注意深くやれば疲れます。そして長続きしません。だから、ミスを含めながら戦うのが流儀です。もう少しうまい作戦があったのに、と思わないことです。作戦には失敗がつきものです。思惑がはずれることがあるからです。このリスクは作戦を立てないで戦った場合よりも大きいか、あるいは同等です。それなら作戦を立てないほうが効率がよろしい。その手間がいらないからです。戦いは怠けていてもそれなりに勝てばよろしい。大きな点数は必要ではありません。点数にこだわらないことです。点数を狙いにいくと、点数が少ない場合、やる気が失せます。成り行きで大きな点数を偶然得ることがあります。これは偶然です。ラッキーです。それは狙わなくても落ちてくることがあるのです」
 社員たちは、このゲーマーの話を何かに置き換えて聞き取ろうとしていた。
「必死で頑張ると疲れます。それより淡々と進めることです。綿々と粛々と進めることです。その最中にいろいろなことが起きます。それらも実は偶然なのです。必然的偶然もあります。しかし、ゲーマーは偶然を狙わないものです。狙わなくても偶然は起こるからです。だから、偶然は何処までも偶然で、偶然を素直に受け流すのがよろしいでしょう。偶然も必然も狙わないことです。ただひたすら適当に戦うことです。この場合の適当とは、ほどよく当てはめるとか、要領よくやると言う意味での適当ではありません。ええ加減にやることです。いい加減に。つまり、無目的に、無責任に、ということです。いい加減というのは、バランスよくやることではありません」
 社員たちは、それを仕事に置き換えて考えたが、それは禁じ手に近い世界だった。
「よろしいですね。長く続けるには頑張るのはよろしくない。楽だからこそ続くのです。だから、どうすれば楽にできるかを考えるべきでしょうが、無策が一番楽なのです。確かにこの方法では得点は低いでしょう。しかし、長く続ければ、その低い点数も、塵も積もれば山です。まあ、それでも大した量にはなりませんが、それをベースにしたほうが、無理なくこなせるのです」
 社員たちは、これはサボってもいいのだと解釈したが、それは教えてもらわなくても最初から知っていた。
 しかし、判断に迷う。なぜならここはビジネス啓発セミナーなのだから。

   了


2009年10月2日

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