小説 川崎サイト



垂直後ろ飛び

川崎ゆきお



「忍者って飛ぶでしょ」
「お約束ですからね」
「飛んだ方がいいのかな」
「忍者らしいでしょ、その方が」
「それって、リアリズムが狂うでしょ」
「狂うもなにも、リアルな劇には出てこないでしょ」
「先日も見たんですよ……飛ぶところを」
「私もこの年まで何十回、いや百回以上は見ておるかも。珍しいことじゃない」
「屋敷の庭から屋根の上ですよ。しかも目標物も見ないで、後ろ飛びです」
「飛び降りた映像を逆に回しているんでしょ」
「それよりも、その高さを跳躍する脚力は人間の限界を越えていますよ」
「だから忍者なんですよ。でないと他の人物との差が出ないでしょ」
「バレーボールなら、ネットの上に足が出るほどですよ。これって。まずいんじゃないですか」
「それが演出ですよ。別に何メートル垂直飛びしても話は変わらないでしょ。そんなに飛んでも本筋とは関係がないわけでね」
「いや、僕は別の話になると思うなあ。時代劇なんてやってる場合じゃないですよ。そんなに飛べたら、それがメインですよ。これだけで話が出来るほどだ」
「そうかね、垂直飛びの名人の映画なんて観ようとは思わないけどね」
「名人じゃないですよ。訓練しても人間には限界がありますよ。オリンピックの高跳びに出れば、三倍以上の記録が出ますよ。それを放置しておいていいのですか。人間の限界を超えているのは確かなんですから、それがメインになりますよ」
「だから、それは忍術、忍法なんだよ」
「まやかしなんですか」
「トリックだよ。だから、人が見ていないと飛ばないでしょ」
「飛んでいるところ見たことありますよ」
「だから、視聴者が見てるでしょ」
「肉体的に飛べるんですよ。物理的に。だから、もっと騒がなければいけないんですよ」
「君は妙なところを注目するねえ。フィクションの世界なんだから、騒ぐことはないよ」
「伝説とか神話なんかも、きっとそうなんでしょうね。その方が演出効果が出るから、とんでもないこと出来るんですよ」
「よく分かっているじゃないか。お約束事なんだよ。それに突っ込むのは野暮ってもんだ」
「そうでした」
「ほら、書類がこんなに溜まってる。残業したくないから、さっさとやっつけよう」
「はい」
 
   了
 



 

          2006年05月23日
 

 

 

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