小説 川崎サイト

 

田舎紳士

川崎ゆきお



 かなり高齢の老人だが、きっちりとしたスーツ姿だ。昔の紳士服のように思えるが、古着ではない。以前よく見かけた町のテーラーが生きていた頃に作ったものだろうか。
 そのスーツは遊びの時に着るようなデザインとなっている。つまり、お洒落で着るようなスーツで、ビジネススーツではない。
 さらに、昔の紳士がかぶっていたような丸いつばの帽子をかぶっている。その生地も良さそうだ。さすがにこれはあつらえたものではないようだ。
 この老人、外出するときは、常にこんな服装だ。ラフなカジュアルの衣類も持っているが、それは屋敷内だけで着る。
 習慣とは長く続けることだろうか。もうそんな時代でもないのに、外に出るときは必ずきっちりとした身なりでないといけないのだ。逆に言えば、このスタイル以外では出られない。
 当然シャツもネクタイや靴も靴下も安いものではない。しかし、派手ではな。その辺で売っていそうな品だが、実はかなり高級品なのだ。
 老紳士は成金ではないし、大金持ちの家系でもないし、由緒正しい名家でもない。大きな屋敷に住んでいるが、元々は農家だ。それだけに敷地が広い。
 そのスタイルで都心に出ると絵に描いたような田舎紳士だが、そういうような見方をする人も少なくなった。
 老紳士の仕事は農業だった。普段は野良着だ。適当な作業着を着ていた。その頃から出かけるときは紳士の服装だった。
 これは単なる趣味の問題で、それ以上の意味はない。自分は農家の人間だが、ちょっと出かけるときはスーツ姿にしよう、と思いついただけのことだ。一度それを実行するとやめられなくなる。
 周辺の人も、そういうものだと思うようになり、すっかり定着したからだ。
 そのため、その期待を裏切るようなことができなくなったのだ。
 そして、かなり年がいったときには、そのことも忘れ、出かけるときは、こうでないといけないと自然に思うようになった。
 特異なことでも、長く続けていると、続けていること事態、意識しなくなってしまうのだろう。

   了

 


2009年10月11日

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