小説 川崎サイト

 

江戸の剣士

川崎ゆきお




「マラソンの優勝候補が直前で棄権したことがあったねえ」
「残念だったね。前回は金メダルだったんだろ」
「それとは違うんだが、ある剣豪がいてね」
「共通するのはスポーツ選手のようなものか

「剣豪だから、剣術だ。まあ、その剣豪は素浪人でね。江戸へ出てきたんだ。まだ若い。かなりの使い手だ」
「国って、江戸時代の藩のことだね」
「小さい藩?」
「小藩だ」
「だったら、そのローカルでは強くても全国大会じゃどうかな」
「いや、本当に強い。江戸の大道場の先生が太鼓判を押すほどだ。全国レベルだよ」
「それで?」
「その強さを表すような事件に遭遇した。盗賊一味の捕り物に巻き込まれてね。まあ、逃げる盗賊団と、追いかける木っ端役人との戦いだ。やはり盗賊団の方が強い。それで反撃され、窮地に追い込まれた。そこを通りかかったのが若き浪人だ」
「わかるわかる。江戸デビュー戦だ」
「当然やっつけたんだろうね」
「一人でほとんど倒してしまった」
「やっぱり強かったんだ」
「江戸に出て初日のことだ。その腕に惚れ込んだ岡っ引きが、長屋を紹介した。まあ、自分が大家の貧乏長屋だけどね」
「わかるわかる。その後、いろいろな事件を解決していくんだ」
「道場にも縁があるしね。お家騒動とかにも巻き込まれたり、市井のもめ事で大活躍……するはずだったんだ」
「活躍しないの?」
「かすり傷だったんけどね。ほら、最初の日、強盗団と戦っただろ。そのとき足にかすり傷を受けていたんだ。本人も気づかない程度だ」
「ふーん」
「それが膿んできてねえ。ひどいことになって、歩けなくなったんだ」
「ほう」
「活躍どころか、長屋から出ることもできない。大家の岡っ引きも放っておけないから世話をした」
「ばい菌が入ったんだろうな」
「やっと治ったと思ったら、今度は足を捻挫してね。これが長引いた」
「じゃ、もう病気だけの物語だね」
「そうなんだ。江戸を舞台に若き剣士が大活躍……の戦が初日で終わった」
「試合を棄権したのと同じか」
「この場合、まだ試合も決まっていない状態でリタイアしたんだ」
「ちょっとしたことで躓くんだ」
「世の中、思うようには行かないものさ」
「そうだね」

   了

 


2010年1月2日

小説 川崎サイト