小説 川崎サイト

 

雉も鳴かずば

川崎ゆきお




 挨拶運動がおこなわれていた。
 見知らぬ人にも、道で出逢ったら挨拶しようというものだ。
「挨拶とは私はあなたの味方ですよ……という意味なんだよ」
 生徒は教えられたことを実行した。
 下校時、道沿いの人たちに挨拶しまくった。反応はよく、今まで無機的だったものが有機物に変わったような感じだ。
 集団下校はそれぞれに家に近づくにつれ減っていく。最後は一人だけになる。
 このわずかな距離の中にその男が歩いていた。
 男は二度とこの道を通ることはないような事情を持っていた。同じ場所に二度と姿を現さないタイプの人間だ。
 下校児は初めて見知らぬ人に挨拶した。今までは、実は顔だけは知っている人たちなのだ。
 下校児はテンションが上がっていた。みんなと一緒に挨拶しまくったあとなので、その勢いが抜けないのだ。
 不審に思ったのは男の方だった。
 同時に、それがトリガーとなった。
 下校児は数時間遅れで帰宅した。両親に、その男のことを話し、遅れた理由としたが、母親はそんなことがあったことは忘れなさい。なかったことにしなさいと叱った。そして、二度のその話をするのではないと。
 児童は先生が挨拶するように言ったこと、そして、挨拶とは私とあなたは味方ですよと言う意味も。
 母親は、まだその話を繰り返すのかと叱った。
 その町を通り抜けた、その男が、こう呟いた。
「雉も鳴かずばうたれまい」と。
 この男は手当たり次第に悪行を繰り返してきたわけではない。触らぬ神に祟りなしで、きっかけさえ与えなければ、悪行はしない。
 そして児童のクラスでの挨拶運動は続いている。
 
   了
 
   


2010年3月19日

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