小説 川崎サイト

 

怪談蚊喰ヶ淵

川崎ゆきお




「怪談蚊喰ヶ淵って知ってますか?」
「聞いたことはない」
「先生が知らないのなら、あまり有名な怪談じゃないのかもしれません」
「一時怪談が大量発生したことがある。その時期に作られた怪談じゃないかな」
「作り話でしょうか」
「いかにもそれらしい題名じゃないか」
「親戚のおじさんが話してくれたんですがね」
「あ、そう」
「深い川の淵があって、そこに近づくとろくなことはないと、注意されているのに、行ってみたら」
「蚊に刺されたんじゃないのかい」
「あ、そうです」
「だから、それは怪談じゃなく、滑稽談や洒落噺の世界じゃないかな」
「でも、おじさんは、昔は出たって言ってます」
「怪談だから、当然幽霊かね」
「はい」
「深い川だから、身投げして亡くなった人もいるんだろうね」
「落ちておぼれた人もいるようです」
「そういう場所は、怪談が発生しやすいよ」
「でも、なぜ蚊なんでしょうか?」
「ヤブ蚊が多い場所じゃないのかね」
「それじゃ、別に珍しい場所じゃないわけでしょ」
「蚊喰い鳥という妖怪がいる。それに引っかけたのだろう」
「そんな妖怪いるんですか?」
「まあ、そもそも妖怪なんていないんだから、元ネタそのものも、実は存在していないんだよ」
「そうなんですか」
「それで、君のおじさんが話した怪談は、蚊に刺されただけで終わりかね」
「美人の幽霊が淵に姿を現すらしいです。それで近くまで行ってみると、蚊に刺されて」
「美人の幽霊ねえ」
「怪談らしいでしょ」
「じゃ、その美人の幽霊は、どうして淵に立っているんだい。いや、幽霊だから立てないとかはなしだよ」
「いきなり立っているので、謎なので、怪談だって、おじさんが」
「あ、そう」
「今は、そんな怪談があったなんて知らないで、淵に蓋をしてますよ」
「もう出ないでしょ」
「はい、幽霊も蚊も出ません」
 
   了


 


2010年3月26日

小説 川崎サイト