小説 川崎サイト

 

欲望を抱く

川崎ゆきお





「欲望を持つのはいいが、それが果たせる状態になると、まずい」
「まずいのですか」
「欲望は抱くもので、果たすものではない」
「でも、先生。欲望を果たすために欲望を持つのでしょ」
「まっ、そうじゃが、ちと違う」
「わかりました。欲望を果たしても、また欲望を持つというか、次の欲望へ向かうので、きりがないと」
「それもあるがな」
「では、他にも」
「欲望に向かっているときのほうが、人間は安定する。それを果たせる状態になると、急に不安定になる」
「果たせるのですから、喜ばしいことじゃないのですか?」
「それは、慣れぬペースに入るということだ。だから、落ち着かなくなる」
「意味がわかりません。やっと果たせたのですから、それで区切りがついて、いいんじゃないですか?」
「今まで果たせなかったことが果たせるようになると、ペースが狂うともうしておる」
「何でしょうねえ。その境地は。満足できることがだめなんでしょうか」
「そういうことじゃ」
「でも、また新たな目標というか、欲望を抱いて、次へ進むわけでしょ」
「今度は欲望のレベルが異なる。質が異なる。それはもう、切に望むほどの欲望ではないのじゃ」
「いろいろ頭の中で、当てはめながら聞いているのですが、僕にはそういう境地がわかりません。欲望は次々に現れ、今の状態が不満に思えてくるはずだと」
「それもある」
「じゃ、他には?」
「つまり、いつまでも欲望を果たせないままじゃと、次々に新たな欲望など生まれはせん。だから、欲望が欲望を生むこともない。最初の欲望の手前でいるからじゃ。そして、それで一生終える。これが一番精神状態がよろしいのじゃよ」
「成長しないのですか?」
「欲望と成長は違う。だから、成長せんわけじゃない」
「いったいどんな境地なのでしょう?」
「それは、果たせぬ望みのようなものを抱いたまま、半ばあきらめた状態じゃ。しかし、欲望は持ったままでな。いつ果たせるかどうかわからぬ欲望、もう無理かと思いながら、しみじみする。これが一番精神的に安定しておる」
「今日は、これで失礼します。理解できませんので」
「まあ、それもよかろうて」
 
   了
   


2010年5月26日

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