小説 川崎サイト

 

電池と小袋

川崎ゆきお




 園山の体験は実に分かりやすい錯覚だった。
 体験の中身はワープだ。
 いつもの場所から、別の場所へ、一気に飛んでしまう話だ。
 その建物は二練からなり、三階まではイケイケになっている。
 つまり、背の高い建物と、それより低い三階建ての建物が並んでいた。
 園山はそれを知らなかった。
「上へエスカレーターで上がっていくと、地上に出たのですよ。さすがに私もそこまでぼけてはおらんので、すぐにそれが屋上にある駐車場だと気づいた」
「何をしにそこへ行ったのですか」
「買い物だよ。電池を買いに行ったんだ。電池は一階にある」
「じゃ、エスカレーターで上へ行く必要はないでしょ」
「そうなんじゃ。錯覚の元は、そこにある」
「えっ、どこですか?」
「一階のカメラ屋で安い電池を売っておる」
「じゃ、すぐにそこへ行けばいいじゃないですか」
「八階に小袋を売っておる店がある。安い雑貨屋でな。それを思い出した」
「電池と小袋、買い物は二つなんですね」
「そうじゃ。だから、どちらが先でもいい。まあ、順番としては一階で買える電池へ向かうのが筋なんじゃが、筋違いを起こした」
「どこの筋ですか」
「話の筋じゃ。体じゃない」
 園山の頭はしっかりしている。
「ところがじゃ」
「はい、何があったのですか?」
「別に事件はない。電池を思いついたとき、エスカレーターの下だった。これに引っ張り込まれたようなものじゃ」
「上へ行く必要がないのにですか」
「必要はある。さっき説明したじゃろ。八階に小物入れを買う用事があると」
「じゃ、エスカレーターに乗って八階へ行こうとしたのですね」
「そこまで明確ではない。何となく乗ったのだ。ブレーキはかからなかった。八階へ行く用事もあるからじゃ」
「わかりました。しかし頭の中でのメインは一気の電池なので、そこで混乱されたと」
「ああ、されたのかもしれん。自分が今、どこへ向かっているのかが帳消しになったような気分で、宙に浮いたような…」
「それで、エスカレーターで上へ向かったのですね」
「そうじゃ。ところが八階までゆっくり行こうと思っていた矢先、四階で青空が見えたのじゃ。そして、車が止まっておる」
「低い方の建物のエスカレーターに乗ったためですね」
「同じビルだと思っていたからなあ。上へ向かっておるのに、地上に出てしまったと勘違いした」
「非常に分かりやすい勘違いですね」
「私の勘が狂ったのじゃない。知らなかっただけじゃ」
「それで、電池はどうなりました」
「もう、小袋も、電池も忘れて、エスカレーターで下まで戻ったよ」
「話はそれだけですか?」
「そうだが、何か?」
「いえ、結構です」
 
   了

   


2010年6月2日

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