小説 川崎サイト

 

決断の時

川崎ゆきお




 一つのことを決めるには、それなりの時間が必要なことがある。事柄により二年も三年もかかったりする。
 大室は普通の人なら数分、早い人では瞬間的に決まることでも最低一日は必要な人間だ。
 ただ、日常的な事柄では、それほど遅くはない。たとえば、夕食を和食にするか洋食にするかだ。
 これで一日かかれば、夕食を食べられなくなる。
 では、瞬間的に決めているのかというと、そうではない。実は決まらないまま食べているのだ。
 そして、結局食べたのは和食であった場合、それは選択したわけではない。
 そして、和食を食べた後は、もうこの問題からは解放される。本気で考えれば、翌日までには決定するはずだ。しかし、もう終わった事柄なので、思考はそこで止まる。
 そして、次の朝食も、決まらないまま、トーストと牛乳ですませる。
 本当は別の朝食にしたかったのだが、決定できなかったのだ。
 こういうとき選んでしまうのは、慣れたものとか、慣れたコースとか、近くにあるお手軽なものになる。
 そんな大室なので、しっかりと決めて、選択して行動することは希だ。
 自分で決められないのではない。時間がかかるのだ。いろいろと考えるため、一通り考え、そして、再び、その一通りを繰り返す。そうすると、疑問な点が出てくる。
 これが消えるまで、繰り返し考えるわけだ。
 結局、本当に考えた末、結論を得て行動したことはない。そうなると、自分らしい生き方ではなく、適当な生き方となる。
 当然、その種のことをも考えたことがある。
 いつも決まっていない状態で選択していること、行動していることに関して、疑問を持つ。
 これが果たして正しいのかどうかを問うわけだ。
 そして、当然そのことに関しての答えは出せないままだ。
 こういう状態を「優柔不断」と呼ぶことを知っている。だが、大室は、それとは少し違うと思っている。なぜなら、判断ができないのではなく、判断に時間がかかり、間に合わないだけなのだ。
 それでも会社員ができるのは、まずまずの選択をしているためだ。妥当な選択だろうと、思えるものを、仮に選択しているのだ。
 決して心からそう思っていないのに…。
 それでもやっていけることに対して大室は不思議な現象だと常日頃思っている。
 当然、これに関しての結論はまだ出ていない。
 
   了


   


2010年6月9日

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