小説 川崎サイト

 

不愉快

川崎ゆきお




「実に不愉快だ」
 新入社員の山田は上司からそう言われた。
「はあ」
 と、返事しただけだ。
「私は実に不愉快だ」
 山田は、こういう言葉を滅多に聞いたことがないし、また、自分でも使ったことがない。
「不愉快だと言ってるだろ」
 つまり、上司は自分の気持ちを伝えているのだろう。それがどうしたのだろうと山田は不思議に思った。腹が痛いと言っているようなものだと解釈した。それは大変ですねえ……程度の返事でもいいような気がする。
「言ってることがわからないのかね」
 上司の気持ちに意味があるのだろうか。機嫌が悪いことは確かだし、怒っているとも思える。山田もそれは感じている。
 しかし、だから、どうなんだとなると、その先がない。返答に困るばかりだ。
「不愉快を愉快にすればいいのでしょうか」
「なにっ!」
 山田は口に出してしまった。しまったと思ったが、後の祭りだ。上司は怒りを露わにした。
「私は非常に不愉快だ」
 不愉快ではなく、私は怒っているのだで、いいのではないだろうか。まあ、それも含めて愉快ではない状態なので、不愉快なのだろう。
 山田は、この状態で、不愉快を愉快に変えることは不可能だと思った。よく考えると不愉快の反対は愉快ではないのかもしれない。不愉快はノーマルな気持から、そうでない不快になったもので、元々快感の中にいたわけではないためだ。だから、ふつうの気持ちに戻してやればいいのだ。
 しかし、上司は何を不愉快がっているのだろう。重大なミスを犯したわけではない。また、新入社員なのだから、多少の失敗はあるだろう。その失敗が上司の不愉快さにつながるのなら、よほど我慢のない上司だということになる。
 山田は何がいけなかったのかを思い出そうとした。
「君の態度だよ」
 上司が助け船を出した。これで、考える手間が省けた。そうか、自分の態度がいけないのか……と。だが、どの態度だろう。失礼な態度をとった覚えはない。上司の命令には素直に聞き、素直に従っているはずだ。だから、態度が悪い……などは、ちょっと考えにくい。では、何がカンにさわったのだろう。
 山田は、そのヒントを上司が口走るまで待った。
「黙秘権かね」
 黙っていると、場違いな言葉がきた。
「何がいけなかったのでしょうか」
 山田は降参し、答えを求めた。
「君の発言は苛立つんだよ」
 山田は答えを見失った。
「新入社員が言うべきことじゃない。それは私が言うことだ」
 山田を、心当たりを探した。それに当てはまる発言を。しかし、ない。
「売り上げが落ちているのだ。それは君が言わなくても私の方がよく知っておる」
 何となく山田はわかってきた。
「いちいち新入社員の君から言われなくても、私が一番よく知っておる。その理由を君は知っておるのかね。努力が足りないから落ちたんじゃない。様々な原因が重なり、この数値になっただけで、その事情を知っておれば、口に出して言うべきことじゃないんだ」
 山田は納得できた。
「しかし、主任が、売り上げ表を僕に見せて、感想を言えって……」
「私は不愉快だ」
 主任はまたもや自分の精神状態を新入社員に報告した。
「はい、承りました」
 
   了


2010年7月10日

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