小説 川崎サイト

 

カレーは牛肉

川崎ゆきお




 それは商店街の裏側だろうか。
 商店街は長く延びており、アーケードで蓋がされている。あたかも一つの建物のように。
 中は私道で車は入り込めない。
 牧村は、少年の後を自転車で追いかけていた。
 少年は非常に古い自転車に乗っていた。長い間乗っていたのではなく、年代が古いのだ。つまり、もうそんな自転車は売っていない。
 昔の乗用車と呼ばれた自転車で、お父さんが通勤で乗るようなタイプだが、スポーツタイプではない。
 イタリア映画「自転車泥棒」に出てきそうなほど型が古いのだ。従って、今、そんな自転車に乗っている人はいない。
 牧村は、そういう自転車に乗った少年を追いかけていたのだ。そして、商店街の裏側まで追いつめた。
 といっても少年は追われているとは思っていないだろう。
 商店街の裏に細い通路がある。アーケード内に横入りする抜け道なのだ。近所の犬や猫は知っているだろうが、通りすがりの人間にはわからない道だ。少年はそれを知っている。だから、この近くの子供なのだろう。
「カレーは牛肉」
 少年がそう叫んだように牧村には聞こえた。
 通路の出口、アーケード通りの入り口付近で少年は止まっている。止まっている自転車が邪魔をし、行く手を遮っているのだ。
 その自転車も古い。
 少年は自転車を強引にねじ込んでいる。止まっている自転車がぐらっとし、倒れそうだが、横の柱に当たり、そこで傾いたまま静止した。斜めになった自転車の隙間を、少年は通過した。
 きっと少年は肉屋へ向かっているのだろう。
「カレーは牛肉」の意味は、豚肉ではなく、牛肉を買ってきなさいとでも言われたのだろう。それを声を出して確認しているのだ。
 アーケード通りは思ったより広い。ちょっとした大通りだ。昼間なのに薄暗いのは電気の明かりだけのためだろう。商店街にしては照明が暗い。
 結構人が出ており、賑わっている。
 少年が大人に絡まれていた。
 紳士に腕を捕まれている。
 自転車はどこかに止めたのだろう。
 人が多いので、牧村は自転車を押しながら少年の近くまで行く。
 少年が大声を出すと、紳士は驚いたようで、腕を放した。近くの人が少年と紳士を見ている。
「カレーは牛肉」と、叫びながら、少年は走り去った。
 牧村は追いかけたが、少年のように人混みの中をすり抜けられない。
 そして、見失ってしまった。
 自転車のことが気になった。あの自転車の古さを思い出した。
 しかし、少年の自転車だけが古いのではなく、アーケード内を行き交う人々も古かった。
 牧村はやっとそれに気づいた。
 三味線屋や紳士服のテーラーや、下駄の鼻緒を売っている店がある。
 牧村は、あの少年に結果的には引っ張り込まれたのだ。
 牧村は、どう脱出すべきかを考えた。
 少年と一緒に入り込んだ、あの通路から戻ればいい。
 しかし、少年は無事にカレーの肉を買えたのだろうか。
 それが気になり、少年が走り去った方向へ向かってしまった。
 
   了


2010年10月3日

小説 川崎サイト