小説 川崎サイト

 

朱印

川崎ゆきお



 都心近くに立つ高層マンションに羽織袴姿の老人が立っている。
 入り口はあるのだが入れない。
 老人はケータイを取り出す。
「前に来てます」
「えーと、どちらさんで」
 前嶋は老人の声に聞き覚えがない。
「前嶋じゃ」
 同じ前嶋。親戚のようだ。
「じゃ、開けますから」
 自動ドアが開き、前嶋老人はマンション内に入ることができた。
「それで、何階かな」
 エレベーター前で聞く。
「二十三階です。突き当たりのドアです。235号室です」
 五分ほどして老人は前嶋のドアをノックした。
 五分もかかるはずがない。迷っていたのだろう。
「本家に来るのは久しぶりです」
 ごくありふれた間取りの家族向けマンションだが、ここが旧家前嶋の本家だ。
「何か、面倒なことでも」
「今年の秋祭りなのですが、御輿が傷んでおりまして、何とかしないと」
「去年はそれで、中止したのでしょ」
「四年ほど祭りはありません。今年こそ……」
「もういいじゃないですか。御輿があっても担ぐ人もいないし」
「前嶋家が執り行う年中行事です。これだけは続けませんと」
「頑張ってるねえ」
「はい」
「で、僕、どうすればいいの」
「修理費を集めたいと思いますので、許可を」
「でも、もう氏子さんもいないのでしょ」
「三人ほど残っています」
「三人なら直接もらえばいいじゃないですか」
「宇都宮、島崎、前嶋分家、いずれも非協力で、何ともなりません。是非本家から言ってもらいたいのです」
「ああ、わかったよ」
 前島はパソコンでなにやら打ち込み、プリントアウトした。
「はい、これを渡してください」
「あの、印を」
「ああ」
 前嶋はラックから朱印を取り出し、三枚分押す。
「では、わたしはこれで」
「頑張ってね」
「御輿が修理できたら、本家も参加してください」
「今からじゃ、遅いでしょ。来年の秋祭りになりますねえ」
「急いで修理すれば、間に合うかもしれませんから」
「ああ、頑張ってね」
 前嶋老人は木箱にコピー用紙を納め、蓋を閉め、紐で結んだ。
 そして、退室した。
 二十分後、前嶋のケータイが鳴った。
 前嶋老人からだ。
 どうやら、出口がわからなくなったようだ。
 
   了


2010年11月2日

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