小説 川崎サイト

 

六道の辻

川崎ゆきお



 住宅地の中に六道の辻がある。昔はそう呼ばれていたが、今は知る人も希だ。
 希と言うのは絶無ではない。未だにそう呼んでいる人がいるわけだ。
 六の内訳は地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上だが、六道の辻で交差する六本の道が、どれに当たるのかはわからない。
 昔の街道と、村道が交差することで四つ角になる。さらにその場所に川があり、村道は川の両側にあるため、一本の街道と二本の村道が橋を挟んで交差し、一応六本道があるように見える。
 だから、六道の辻から六方向に道が延びているわけではない。
 六道の辻とは近くの寺が言い出したことで、寺の私的な言い方だ。ある時期まで村人も、その呼び名を共有していたようだが、住宅地になったこの時代、ほぼ死語になっている。元々私語的なので、そんなものだろう。
 当然六道の辻という地名は地図にはない。
 街道と接する場所にあったので、石饅頭のようなものが道路脇に転がっている。場所は橋の袂の余地だ。しかし土地の持ち主はいる。川の堤防は私有地ではないが、その境目までは中村家の地所だ。昔の村の萬屋だ。それが雑貨屋になり、食料品店になり、駄菓子屋になり、今は自販機だけを並べている。
 六道の辻の石碑や、壊れた石地蔵などが残っているのは、中村家が放置しているためだ。この家は何代も続いているが、どの当主も不精者なのか、文化を大事にする家なのか、それはよくわからない。おそらく両方だろう。
 六道の辻と言い出した寺は旧街道近くにある。街道と寺を結ぶ道は参道で、昔は田畑の中の一本道で、寺のための道だったのだ。今でも松の古木が数本残っている。村のための葬式用の寺というより、修験者の寺として建てられたようだ。
 この町は平野部にあり、修験者の山などない。どちらかというと巡礼の札所だ。
 巡礼は願を掛けて寺回りするイベントだが、これはただ歩くだけのことで、山伏のような扮装の修験者ではない。 寺の最盛期、修験者の宿屋になったようだ。虚無僧が立ち寄る寺のようなものだろうか。
 修験者が何を信仰していたのかはわからない。何かの講だったようだ。
 もう昔のことなので、そうやってうろうろしていた修験者の記録も残っていない。
 わずかに六道の辻と書かれた石碑が転がっているだけだ。
 

   了



2010年11月8日

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