小説 川崎サイト

 

バス

川崎ゆきお



 バスが出ていく。
 画家の蜂田はそれを見送る。
 バスを見送るのであって、乗客の誰かを見送るわけではない。
 蜂田はバス停まで近づく。
 キッと、車が止まる。窓が開き、武蔵野が顔を出す。外車だ。
「おお」
 蜂田は驚く。こんなところで出会うとは思っていなかった。
「何処かへ行くところ?」武蔵野が助手席の蜂田に聞く。
「いや、別に」
「バスに乗ろうとしていたんじゃないの? よかったら送るよ。駅前までだろ」
「いや、そういうわけでもないんだが」
「あ、そう、でも駅前まで行くんだろ」
「そうだな。行ってもいい」
「じゃ、送るよ」
「ああ、ありがとう」
「最近どう?」
「相変わらずだよ」
「先月の個展、来てくれた?」
「ああ、案内書は来ていた」
「来月もやるから、来てよね」
「ああ、そうだな」
 駅前で蜂田は降りた。
 別に来なくてもよかったような気がするが、来ても別にかまわない。
 いつものように駅ビルの二階にある喫茶店へ向かう。この駅に来たときの用事はその程度だ。雑誌や新聞を読み、それで終わる。
 コーヒーを飲みながら蜂田は鞄の底からはがきを取り出す。行くつもりは少しはあった。葉書には最寄り駅から画廊までの地図が書かれている。切手ほどの地図で老眼鏡でも見えない。
「バスに乗り遅れたわけじゃない」先ほどのバスのことではない。
 バスに乗ったのは武蔵野だ。画壇行きの。
 蜂田はバスに乗り遅れた。
「いや、僕も乗ったよ。バスには」芝居がかった声で、小さく呟く。
「乗るには乗ったが市バスだった」
 蜂田はクスっと笑う。
「あいつは長距離バスに乗ったんだな」
 新聞と雑誌を読み終えた蜂田は、喫茶店を出て、バスターミナルを通過した。
 歩いて帰るのだろう。
 
   了


2010年12月21日

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