小説 川崎サイト

 

南無阿弥陀仏

川崎ゆきお



 陰口という陰気な駅名がある。廃線の噂が出てから五年たつが、未だ営業を続けている。地元に有力者がおり、そのお陰だといわれている。しかし、その有力者はかなりの高齢で、彼が没すれば鉄道は雑草の道になるだろう。
 陰口は山間の駅で、過疎の村だ。鉄道より、この村の方が早く廃村となるかもしれない。
 その陰口駅に降り立つ人々がいる。川という魚の骨に、わずかに付いた身のような田畑があり、すぐそこ山が迫っている。
 降り立つ人々は村とは関係なさそうで、ある決まった場所へ行くようだ。
 村人も、その連中を見かけても、特に気にしていない。
「ああ、同人さんの窟へ行くんだな」と、理解している。
 同人さんとは室町時代の修験者で、その修験場が陰口村にあった。今はただの浅い洞穴だ。奥まで入っても外光で明るい。
「ああ、また信者さんが来なすったか」
 駅から数人歩いてくる姿を見て老婆が呟く。
「駅前で草団子でも売りゃあ儲かるかもしれんのう」
 老婆は、その連中を見るたびに思うのだが、なかなか実行できない。一日何百もの団体さんが降り立つのなら、田圃に土産物屋を建てようかと思うのだが、さほどの人数ではない。
 陰口窟は、今は修験の為ではなく、阿弥陀如来が祭られている。最近彫られたもので、見ただけでは、木彫りの仏像だ。しかし、ここに来る人は、それを阿弥陀如来だと信じている。彫った人が、阿弥陀如来だというのだから、特に反論しない。
 村の婆さんは信者と呼んでいるが、宗教組織ではない。また、ポピュラーな信仰とも違う。
 信者は若い人から年寄りまでの男女だ。町でふつうにいそうな人々だ。
 それを最初やりだしたのは鷹栖という男で、今はほとんど顔を出さない。来ている人々は口コミやネットで知ったようだ。鷹栖のホームページは更新もないまま、放置されている。
 洞窟の中にいびつな作りの阿弥陀如来が鎮座し、それなりの仏具もおいてある。まあ、仏壇のようなものだと思えばいい。
 信者というより、その意味を知っている人々は窟の入り口で待機する。
 一人が出てくると、次の人が入る。
 一人数分で終わるようだ。
 終わるとすっきりしたような顔で出てくる。そして、もう用はないとばかり、駅まで歩く。
 入り口にいても、声が聞こえる。
「ああ、やってるやってる」と、納得しながら、順番待ちの人々は頷きあう。
 二人組みでも三人組みでもいいようだ。
 老婆の話によると、念仏のようなのを唱えているようだ。非常に短いので、聞き取りにくいようだ。
 その短いお経のような言葉を何度も繰り返すらしい。気が済むまで。
 中には、一回で終わる人もいる。
 マンマンチャンアン。
 これが、その言葉の中身だ。
 
   了


2010年12月22日

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