小説 川崎サイト

 

南風小僧

川崎ゆきお



 北風が強い日だった。
 吉田は南に向かい自転車で走っている。そのほうが追い風で進みやすいからだ。
 かなりスピードに乗る。さらに傘をヨットの帆のように立てれば、漕がなくても進むだろう。
 吉田は「北風小僧がやってくる」と鼻歌を歌いながら軽いペダルに気をよくしながら、どんどん南下していく。
 小僧という言葉は最近聞かない。また、本物の子供の僧も見ない。しかし、社長が若いライバル社長に「あの小僧」とか「小僧のくせに」などということもある。
 吉田は、自分が北風小僧になったように気分でいる。だが、一度もそうなったことはない。なるわけがないのだが、想像上でもない。今冬が初めてだ。
 吉田は北風小僧デビューしたのだ。ただ、それは自分の頭の中だけの展開で、吉田は吉田だ。
 単に自転車に乗っている人にすぎない。
 吉田は自転車散歩を気晴らしでよくやる。気が晴れる手前で戻る。なぜなら、気が晴れてから戻るのは苦痛になるからだ。そのため、晴れきれない状態で、ターンする。
 今日の吉田は突っ込みすぎだ。勢いよく南へ進入しすぎている。北風のためだ。
 この快適さの反動がすぐにくる。今度は逆風の中を戻らないといけない。
 既に見慣れぬ町に来ている。知らない町ではないが、いつもの自転車散歩のテリトリーから出てしまっている。
 吉田の気はもう晴れている。さらに南下するとなると、気持ちよさをさらに味わう贅沢な行動になる。
 それで、いつもの吉田のパターンからはずれたため、北風小僧になったのだ。
 どこかでしっかり自制すべきだった。そうでないと、日常が狂ってしまう。
 狂気の日常になってしまうのではなく、計算が狂うだけだ。
 計算が狂うと、予定外の苦痛を味わうことになる。
 そして、吉田は引き返した。
 今度は「南風小僧がやってくる」と歌詞を変える。
 だが、南風など吹いていない。
 吉田は違う名前に変えようとするが、思いつかない。
 南風小僧はキャラクター名だ。風の別名ではない。
 だから、これで問題はない。ただ、向かい風でペダルが重い。
 それだけのことだ。
 
   了


2011年1月16日

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