小説 川崎サイト

 

嘆きの岡

川崎ゆきお



「その岡がキリストの墓です」
 案内ボランティアがいう。
「悪いですねえ。一人旅なのに」
「いえいえ、それより……」
「え、何か問題でも?」
「いえ、今聞いてました?」
「はい、案内、聞いてましたよ」
「岡を見ました?」
「はい、見ました」
「あの岡、キリストの墓なんです」
「ああ、そうなんですか」
「それだけですか」
「あの岡、何ですか?」
「だから、キリストの墓なんですよ」
 岡といっても山中の村なので、見分けにくい。
「あの岡、山裾からはずれているでしょ。離れ島のように」
「そうですね」
「地形が違うはずです。あれは自然にできた岡ではなく、人工的なものなのです」
「ピラミッドのようなものですか」
「違います。キリストの岡です」
「墓じゃないのですか」
「嘆きの岡です」
「すみません、聖書とか詳しくないもので」
「それよりも、こんな山中の寒村にキリストの墓があることに驚かれたと思いますよ」
「え、誰が」
「ああ、あなたがですよ」
「私。ああ、そうなんですか」
「日本にキリストの墓があるんですよ。十和田湖じゃなく、この地方にも」
「いろいろなところにあるんでしょうねえ。でもあの岡、誰が作ったのですか」
「さあ、それはわかりません」
「やはり、ふつうの小高い山じゃないのですか」
「登ってみますか。頂上に石があります」
「何とかストーンのような?」
「そういうのはありません。ただの石です」
「石版とか?」
「いや、小さな御影石に十字架が刻まれています」
「ああ、そうなんだ」
「登ってみますか?」
「あ、いいです」
「キリストの墓なんですよ」
「またの機会に」
 案内ボランティアは、その後、言葉が少なくなった。
「あとは、一人で見て回りますよ。ご苦労様でした」
「あ、そう。キリストの墓なんですけどねえ」
「はい、十分、お話聞きました」
「まあ、いいけど……キリストの墓なんだけどねえ」
 
   了


2011年1月17日

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