小説 川崎サイト

 

貨幣

川崎ゆきお



「今日は貨幣について話してみようか」
「はい」
「人と貨幣、社会と貨幣、そして経済における貨幣の問題は大きい」
「あのう」
「何かね」
「うちのお爺さん嘉兵衛なんです」
「お金を持っておるから貨幣という意味かな」
「名前が」
「今、そんな話をしていない。わかるね」
「はい、でもカヘイカヘイと聞くとお爺さんを思い出しまして、それにお爺さんの名前以外では使わない言葉ですし」
「ここはね、ダジャレや連想ゲームをする場所じゃないんだ」
「でも、貨幣って何ですか」
「お金のことだ」
「じゃ、お金でいいんじゃないですか。貨幣なんて言葉使いませんよ。ちょっと貨幣がないので、このデジカメ買えませんなんてね」
「君はどうしてこの教室に来ておるんだ。大学受験だろ経済学部を受けるんだろ」
「試験にでるからですか。貨幣が」
「そうだ」
「はい、わかりました。ちょっと気になったので」
「出るかどうかはわからん。貨幣はな。それに日常では使わない言葉はいくらでもある。貨幣だけが問題ではない」
「はい、お爺さんのことをさっきから言っているようなので、気になったので」
「そういえば、私は松下嘉兵衛を思い出す」
「パナソニックの創業者ですか」
「それは松下幸之助だ」
「じゃ、先生のお爺さん?」
「私は松下ではない。松下嘉兵衛は戦国時代の武将だ」
「それなんです。戦国時代無精ばかりしていた人のように聞こえて」
「今日はそういうダジャレを解禁してはいない」
「はい」
「松下嘉兵衛は、昔、太閤さんが仕えていた今川家の武将だ」
「ああ、だめです先生。今川家が無精だと聞こえてしまいます」
「我慢しなさい」
「はい」
「そのような連想を利用して覚えるのも一つの手です」
「あ、それは村田先生も言ってました」
「しかし、貨幣とお爺さんの名前を連想させても、別に意味はない。貨幣といういう言葉はふつうの言葉で、暗記を必要とするような言葉ではない」
「そうですね」
「ただ、私も貨幣と言えば、松下嘉兵衛なんだな。しかしそれはローカルすぎるので、口に出して言うようなことではない。君の家族間だけなら嘉兵衛は通じる。だが、世間では通じない。ここが大事だ。高校生の君にそんな話をする必要はないがね。常識以前だ」
「じゃ、マツシタカヘイはどうなんです。僕も聞いたことないです」
「知ってる人間は知ってるなだ。豊臣秀吉のドラマでは必ず出てくる名前だ」
「その人はなにをしたのですか」
「松下嘉兵衛よりも秀吉のエピソードしか、私も知らない。嘉兵衛が最新の鎧を買ってこいと秀吉に命じた。そのお金を持ったまま逃げた」
「はい」
「このエピソード、私は好きでね嘉兵衛の貨幣を盗んだようなものだ。その後秀吉は太閤さんにまで出世したのだから、嘉兵衛の貨幣を返したのかどうか、気になった。調べてみると、今川の嘉兵衛は徳川家に仕え、さらに秀吉に仕えた。鎧の代金はこれで帳消しかな」
「はい」
「その松下嘉兵衛と、君のお爺さんの名前が同じなのも奇遇だね」
「それで、貨幣の話なんですが」
「嘉兵衛はその後、遠江で、今の静岡県だね。そこで城主になった。それで安心した」
「あのう貨幣の話なんですが……」
 
   了


2011年6月9日

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