小説 川崎サイト

 

木陰の二人

川崎ゆきお


「暑いですなあ」
「そうですねえ」
 会話はそこで終わる。
 二人の老人は木陰で休憩している。散歩中のようだ。会話がそれ以上弾まないのは相性が悪いのだろう。しかし、挨拶程度はする仲だ。
 日陰で話し込んでいた主婦二人が炎天下での立ち話になる話がある。好きこのんで炎天下で話し込んでいるわけではない。いつの間にか日陰がなくなったのだ。太陽の位置が変わったためだ。つまりそれほど長話をしていたわけだ。
 その話とは違い、今木陰にいる二人は会話にならない。簡潔だ。互いに顔見知りで知らない仲ではない。だが、親しいかというとそうではない。そこに相性があるのだろう。何となく話しづらい面が互いにある。一方だけならその一方が一方的に話し出すだろう。そしてもう一方はただ単に相づちを打つ。
 しかし、この二人はそれさえない。どちらも受け身の人間かもしれない。話しかけるタイプではなく、話しかけられるタイプだ。
 これが相性だ。
 しかし、この二人、会話らしい会話もしていないの、相性の悪さを感じている。話さなくても分かるのだ。おそらくそれは人相だろう。風貌だろう。醸し出している雰囲気だろう。話せば話が合う相手かもしれない。たとえそうでも、楽しくないのだ。
 二人は木陰で涼んでいる。暑い時間帯だ。会話が弾み、熱くなるのを避けているとも思えない。熱くなることで、暑さを忘れる可能性もある。汗が出ても、それが気持ちいいのだ。暑い程度は、その程度のことだ。
 しかし、苦しい会話になると、会話に熱くなるどころか、熱が体にこもる。汗となってでないためだ。
 二人は小動物のように、そうなることを軽快し、会話をしないのだ。
「よくお見かけしますが」
「そうですねえ」
 一方が引っかけようとしたが、一方は堰き止めた。
 話しかけた側は間が持たなくなったためだ。決して会話を楽しもうとする目的ではない。
 幸いにも一方が堰き止めたので、事なきを得た。
 そして、話しかけた側は木陰をでた。それ以上いると暑くなってしまうからだ。息苦しいためだ。
「ふー」
 木陰に残った側がため息をつく。
 二人は別に悶着を起こすような関係ではない。それ以前に顔を知っている程度で、互いのことさえ知らないのだ。
 ただ、分かっているのは、根本的に相容れない何かがそこにあるということだ。そこに具体性はない。根拠もない。ただただ雰囲気でしかない。
 
   了


2011年7月26日

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