小説 川崎サイト

 

森を見て木を見ず

川崎ゆきお



 些細なこと、枝葉。実はここに本質が表れているのではないかと高田は思った。
 木を見て森を見ずではなく、森を見て木を見ずでは駄目なのではないかと。
 全体を見ないで、部分しか見ないのではなく、部分を見て全体を見る。
 と、言うことだ。
 神は部分に宿るというではないか。それが高田の発想を支えている。
「でも、本質というか、全体の中の一部だけで、全体を決めるのはまずいんじゃないですか」
「そうじゃない。全体の中のどの部分を見るかだ。一番象徴している部分を見るのだ」
「じゃ、最初は全体を見て、そこから部分を見ることになるのでしょ」
「あたり前だ。私は望遠レンズではない。標準レンズだ。だから、視野に入って当然で、全体など意識しておらんかっても見てしまうところのものだ。故に全体を見ずというのはあり得ない」
「森の場合は、それでいいのですが、事柄に対してはどうですか。ある部分だけの情報だけでは、間違った解釈、つまり、間違った全体像になりはしないかと」
「事柄でも同じだよ。それに事柄の全体なんて、誰も知り得ることじゃない。君がここにいるのは、先祖があっての話だ。すべての先祖を知っておるか」
「いや、それは知りませんが、そこまで拡大しては」
「そうなんだよ。実は我々が見ている全体なんて所詮は部分なんだ」
「それでは、部分を見て、全体を把握するというのは、どういうメカニズムでしょうか」
「カンだよ」
「あ、はい」
「不満そうだね」
「カンって、人によって違いますよね。だから真実はいろいろ出来てしまうと言うことじゃないでしょうか」
「真実、本質。それは人が観察して得たものだろう。そして、今の人の観察と、昔の人との観察は、違うかもしれない。さらに同じように観察しても、解釈に流行がある。その時代の都合があるからね。だから、確実なものではない」
「でも、妥当性のある解釈はあるでしょ」
「その人や、その役目にある人にとって、そうとしか言えない箍があるからね」
「タガ?」
「型のようなものさ」
「それより、部分を見て、全体をとらえる話なんですが、もう少し詳しくお願いします」
「これはねえ。分かるんだよ。目に入るんだよ」
「何が」
「目立つんだよ。だから、それが目に入る」
「目立つんですか?」
「それが、全体を象徴したものであるとは限らない。特にすごいと思うようなものだったり、違和感があるものだったり」
「それを見抜くのですね」
「だからそれはカンなんだ。全体ではなく、その部分が、そいつの正体なんだよ」
「マニュアル化しにくいですねえ。カンでは。でも勘違いってのもあるでしょ」
「そこまでの観察者だったと言うことだね。だから、誰でも出来るものではない」
「部分を見てもカンで理解できないから、全体を見るのじゃないですか」
「全体を見て、中身を見ずだ」
「難解そうなので、今回はパスします」
「カンが悪い男だねえ。私の言っていることで、ぴんと来るだろう。すべて聞かなくても」
「すみません。先生の全体が見えません」
 
   了



2011年10月10日

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