小説 川崎サイト

 

ライブは響く

川崎ゆきお



 まだ若い。しかし文学賞を受賞した旬の作家だ。
 彼の名を仮に若宮と呼ぼう。若いから若宮。それだけでも覚えやすい。宮は宮様のように気高さの意だ。純文学の受賞者なので。
 旬の人物であることから、いろいろな人が接触してきた。その中にミュージシャン関係の人がいた。こちらも売り出し中の人で、若宮と同年代だ。交流の下ごしらえのため、若宮にライブを聴いて欲しいと招待したのだ。
 大きなホールのロビーで、若宮はミュージシャンのマネージャーから挨拶を受けている。
「どうでした」
「はい」
「打ち上げがあるんで、もう少し待っていてください」
「はい」
 若宮は何とも言えない顔で返事する。返事というより、イエスかノーかだけの応答だ。
「はい」と答えたものの、浮かぬ顔だ。
「先生。どうでした」橋渡し役の編集者が聞く。
「すごかったなあ。音が」
「ははは、音ですか。音ねえ。そうなんです。あの音出せるの、あの人だけかもしれませんよ」
「電気を使うと、ああなるんだ」
「はあ?」
「耳がきんきん」
「いくら大きい音を出しても、苦情は出ませんよ」
「それに、振動もすごい。あれは音波なのか」
「テーマも、モチーフも先生と似ています」
「そうなの」
「先生なら、分かってもらえる音ですよ」
「で、何を言っての」
「はいっ?」
「よく聞こえなかったけど、何か言ってたけど」
「伝わったと思いますが」
「断片的に言葉は聞き取れたけど、文節までは分からない」
「ああ、歌詞のことですか。みんな知ってる歌詞ですからね」
「そうなの」
「熱狂のライブ。ステージと客席との一体感。今日のライブは特によかったですよ。いい日に来ました」
 若宮は何とか理解しようとと努めた。
「打ち上げまで、時間がありますから、もう少し待ちましょう」
「何時から?」
「11時からです」
「遅いなあ。帰れないよ」
「タクシー代、出します」
「あ、そう」
 編集者は楽屋に向かい、若宮はホールを出た。夜風に当たるためだ。
 女性ファンが次々にホールから出て行く。みんな同じような服装をしているように若宮には思えた。
 若宮は何も感じなかった。ライブはうるさいだけで、何を言っているのか分からなかったし、曲も、音響がやかましく、音につかまって泳ぐことも出来なかった。つまり、乗れなかった。
 逃げだそうと思い、ホールからかなり離れたところまで来た。しかし、ケータイでつかまり、ホールに戻された。
 そして打ち上げが終わった後、タクシーに乗った。
 打ち上げでは、そのミュージシャンと名刺を交換しただけで、すぐに席に戻った。これで、夕食代が浮くと思い、食べれるだけ食べた。
 ケータイが鳴った。
「先生、またライブに来てくださいって、彼、言ってました」
「あ、そう」
 金をもらっても、行くものかと若宮は言いたかったが、そのニュアンスを伝えることを控えた。
 彼が、純文学の大賞を取ったのは、分からない感覚があるためだろう。
 音痴は歌が下手なのだ。だが、若宮は聞く音痴でもあったようだ。
 ある感覚の欠落も才能なのだ。
 若宮は古い演歌を口ずさんだ。
 
   了


2011年12月6日

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