小説 川崎サイト

 

あるレクチャー

川崎ゆきお



 老人が仰向けに倒れている。彼の家の中庭だ。その周囲に近所の人々が立ったまま見ている。
 それを見た老人の娘が、大きな声で叫ぶ。
「父さんに何をしたの!」と。
 老人は娘との二人暮らしだ。近所とは始終行き来がある。顔見知りだ。
 動画はそこでストップした。
「さて、これはどういう状態だと思います」
「父さんに何をしたの! が、気になりますねえ。悪いことをしたのでしょうか。老人が倒れている原因は、近所の人々だとすると……」
「すると?」
「あまり治安のいい町内ではないかと思います。老人をダウンさせたのですから。娘は近所の人のせいだと思っている。何かをしたと」
「では、続きを見てください」
 止まっていた動画が動き出した。
 仰向けで大の字で倒れている老人が「大丈夫だ」と娘に伝えている。
 近所の人々は棒立ちのまま。
「父さんに何をしたの?」
「誘いに来たんだが、ここで倒れていたんだよ」
 動画はそこで止まった。
「では、どうして倒れていたと思いますか」
「一人で転んだのでしょうかね。近所の人が原因でないとすると、自分で転んだのでしょうね。でも、わざわざ大の字になる理由が分かりません。だから、つまずいて転んだのか、病気か何かで、ふらっとなり、倒れたとみるべきです」
「はい。正解です。老人は腰が悪く、立ってられなかったのです。そして、立ち上がるため、大の字になり、起きる姿勢に入ろうとしていた」
「じゃ、単純な話ですね」
「私が気になるのは、父さんに何をしたの! と叫ぶ娘の心理です。この場合、明らかに老人が倒れた原因を近所の人に結びつけています。そうなると、そういう人間関係が想定されます。老人を押し倒すほどの関係。それを娘は可能性として、一番に思ったのでしょう。一人で転んだのが第一ではなく、第一は近所の人の暴力。そういうことです」
「娘さんは老人が腰の悪いのを知っていたはずです。だから、第一に、それを考えるべきだったのではありませんか」
「娘さんは、知ってました。しかしそこまで悪化しているとは思っていなかったのです」
 そのあと、動画は動きだし、老人が立ち上がるまでの姿を撮していた。
「どうして、こういう動画を見せるのですか?」
「とっさの場合の一言に、真実が隠されています。本音、本心でしょうか。この場合、近所の人に対する思惑が隠されていたのです。つまり、父さんに何かをするような関係です」
「じゃ、いい関係じゃなかったと」
「はい、そういうことです」
「それを説明するため、わざわざこの動画を?」
「はい、興味深かったからです」
「それだけのことですか」
「はい」
「貴重な時間です。もうそういうのを止めてもらえますか」
「えっ」
「動画なんか用意して、わざわざレクチャーを受けるような内容じゃないです。何事かと思いましたよ。僕は暇じゃないんだ。あなたがこういうお膳立てをしての説明が好きなことは分かってましたが、こんな面倒なことはこれっきりにしてください」
「それが、教え子の言葉か」
 教師はすごい形相で教え子に近づいてきた。
「生徒に何をするんだ!」
 
   了


 


2011年12月26日

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