小説 川崎サイト

 

寝たきり探偵

川崎ゆきお



「すみませーんすみませーん」
 ボロアパートのたわみそうなドアを叩きながら、同種のボロそうな青年が大声を発している。アパート中に聞こえそうだ。
 当の部屋主も聞こえているが、布団の中だ。時間は昼過ぎ。まだ、寝るころではない。
「すみませーん」
「住まないのかね」
「すみません」
「そんな宣言はよい」
「違います。いるなら開けてください」
「起きられぬので、勝手に入ってきなさい。鍵はかかっておらぬ」 今時珍しい引き戸だ。
 青年は布団の中にいる探偵を見た。それは、見たという感覚が大きい。単に見てしまった。悪いものを見てしまった。というような見方なのだ。
「お身体でもお悪いのですか」
「いや、面倒なだけ。寒いのでな。ここが一番」
「寒々とした部屋ですねえ」
「暖かい」
「いや、寒いです。ここ」
「電気毛布を敷いておる。温泉じゃ。ここは」
「友人の探偵から寝たきり探偵がいるので、見てこいと言われて」
「来たのじゃな」
「はい」
「わしは寝たきり老人ではない。体調は常に悪いが、寝込むほどではない。寝たきり老人と、寝込み老人とは違う。わしは自力で起きられる。そうでないと共同便所にも行けんからな」
「そうでしたか。一人暮らしで倒れているのではないかと、仲間が心配し、僕を派遣させました」
「派遣とは大げさな。では、事件の依頼ではないのだな」
「はい、そうです。まあ、お見舞いのようなものです」
「で、見舞金は?」
「あ、それはありません」
 青年は、やや間を置く。
「あのう」
「何だ」
「僕はどこに座ればいいのですか」
 若い探偵は、立ったまま老人と話していたのだ。背は高くはないものの、かなり下を見ている。一応先輩探偵に対する敬意はある。だから、そのポジションでは失礼だと感じたわけだ」
「一緒に温泉に入るか」
「それは……、あのう、ここでいいです。着席してよろしいでしょうか」
「ああ、かまわん。座布団は、その辺りにあるはず。しかし寒いぞ」
「僕は探偵です。寒中の見張りや尾行に備え、カイロは一ダースほど持ってますから」
「なるほど」
「でも、ホームゴタツぐらいあったほうがオフィスらしいですよ。僕の知り合いのもう一人の老人探偵は、ホームゴタツ探偵です。そちらにされたほうが何かと便利ですよ。あ、訪問者に対する配慮の問題ですが。一応場が出来ます。テーブルですから」
「いや、わしは寝転びながらのほうが思案しやすい。依頼主の話も寝て聞く。何やら死んで坊主に枕経を唱えられておるような案配だがな」
「寝転ぶことに意味はあるのですか。いや、意味というか、メリットのようなものがです」
「リラックスして聞ける」
「はい。参考になりました。僕も老いれば、ホームゴタツか布団か、どちらかの選択を今から考えておきます。
「用件が済んだら、帰りなさい」
「あ、長居しました。一応生存確認できたので、退散します」
「ああ、君らでは解決出来んような事件があれば、いつでも言うてきなされ」
「はい了解しました」
 若い探偵は、部屋を出よとして、押し入れの襖を開けてしまった。そして、がつんと膝を打った。
「間違えました」
 
   了


2012年1月12日

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