小説 川崎サイト

 

不快な来訪者

川崎ゆきお


 ぎりぎりだが、何とかイラストで食べている高橋は、イラストを食べているわけではない。
 仕事場である安アパートの板戸をノックし、いきなり開け、土間から畳へと足を踏み入れようとしている大男がいた。
 高橋は押し込み強盗かと思ったが、こんな所に来る泥棒も強盗もいないだろう。
「弟子にして下さい。イラストで食べたいのです」
「何事?」
「イラストで食べに来ました。弟子にして下さい」
 男は二の足も畳みを踏み、座敷に完全に入ってきた。
「君はねえ」
「先生の弟子にして下さい」
「だから、僕もぎりぎりなんだ。弟子なんてとんでもない」
「じゃ、アシスタントにして下さい」
「同じだ」
「じゃ、絵をば、見てください」
「絵おばって、何ですか」
「イラストです。見て下さい」
 男は大きなスケッチブックを開いて見せる。結構大きい。最初盾かと高橋は思った。
 スケッチブックを開くと、スーと風がきた。
 高橋は、絵を見た。
「どげんです?」
「下絵はいいから、清書したものを見せてもらえますか」
「何がです」
「いや、だから、スケッチはいいから、完成画を見せて下さい」
「しちょりますよ」
 高橋は、スケッチブックを何枚もめくる。
「これは何で書いたの」
「先生に見せるためです」
「だから、そうじゃなくて、道具だよ」
「ペンです。先生はペン画の人だから、ペンで書きました。だから、これ、完成したイラストなんですよ」
「これが、フィニッシュ」
「はい。先生の絵も、こんな感じでしょ」
 高橋は、むかっとした。追い出そうと思ったが、体が大きそうなので、他の方法を考えることにした。
「先生なら、理解してくれると思いました」
「何を」
「こういう画風をです」
「どういう」
「ですから、少し崩したような絵です」
「崩した?」
「はい、親しみが持てます。先生の絵は」
「崩したわけじゃない」
「あ、そうなんですか。無理に下手に書かれているのかと。わしなんて、目一杯頑張っても、こんな絵ですたい」
「駄目じゃないか」
「はい」
「でも、僕のイラストは、それほど有名ではないし、掲載雑誌も限られている。小さなイラストばかりで、カット屋さんだよ。イラストレーターというほどのものじゃない」
「先生のような仕事ぶりが好きなんです。ひっそりしていますが、長く続くような気がして。派手に売れると、すぐに廃るでしょ。だから、あまり儲かっていない人の弟子がいいのです。ライバルもいないので、弟子になりやすいです」
「話は分かるけど、年寄り臭いねえ。イラストレーターになるんなら、もう少し格好をつけたほうがいいんじゃないか」
「ああ、わしにはその才覚やセンスがなかと」
「まあ、いいけど、どちらにしても人を雇うほど仕事は多くないし、また、雇える金もない。そういうことです」
「はあ、そうですか」
 男はドアへ向かった。
 少し淡泊すぎる。もう少し粘ってもいいはずだ。
「お邪魔しました」
 ドアを開けっ放しにして、男は出て行った。
 高橋はレベルの低い戦いをやったような気がして、不快だった。
 しかし、あの絵でイラストレーターを目指す、あの男の根性が信じられない。本人がそれを気付かなければ、きっと珍しがられて、売れるかもしれない。
 高橋の不快度は、さらに増した。
 
   了
   


2012年2月17日

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