小説 川崎サイト

 

傘化け

川崎ゆきお


 野村は喫茶店のドアを開ける。中に入るのではなく、出るところだ。
 店に庇はあるが、その真下まで濡れている。水たまりとまではいかない、お好み焼きの鉄板に薄く油を敷いたような感じだ。しかし、雨は決して脂っこくはない。
 野村はドアを後ろ手で閉め、自転車までの距離を測っている。三歩もかからない。傘は自転車の前かごに乗せてある。三歩分濡れるが、大した降りではないので問題はない。
 喫茶店の庇は歩道にかかっている。そこだけは私有地のためか、色目が違う。歩道の舗装とは違う質感だ。
 そして、野村は自転車のほうへ向かおうとしたとき、傘を見た。
 かごの上に乗せている野村の傘ではない。歩行者の傘だ。しかし、歩行者はいない。
 水色の彩度のある傘で、子供向けか婦人向けだろうか。白い水玉色がちりばめられている。
 その傘がゆるりゆるりと上下しながら野村の前を通り過ぎようとしていた。
 傘の化け物だ。
 しかし、傘が実体ではなく、傘は傘かもしれない。つまり物理的な傘で、傘は化け物ではないかもしれない。それを差しているものが実体なのだ。
 透明傘ではなく、差しているものが透明なのだ。
 この場合、傘のデザインから、その透明な実体を想像するしかない。
 いや、違うかもしれないと、野村は再考した。
 やはり、傘は誰も差してなく、誰も傘を持っていない。傘は独立した存在で、傘に化けているのだ。
 これがもし、登下校中の子供が集団で歩いていたとすれば、どうだろう。一人ぐらい、実体がなく、傘だけの存在でも、わからないのではないか。
 では、この傘の化け物は、何のために、うろうろしているのだろう。
 梅雨時、ある日、突然キノコが出来ていることがある。雨後の竹の子ではなく、雨後のキノコだ。このキノコのような感じで、雨が降ると、傘が出てくるのかもしれない。
 しかし、キノコと傘は違う。出てくる理由がない。
 その傘だけのものは、野村の前を通り過ぎ、歩道の奥へと遠ざかっていった。
 同じ方角から、合羽で自転車に乗った主婦がこちらへ近づいてきた。傘だけの存在とすれ違ったはずなのに、反応がない。
 野村は自転車に三歩寄り、傘を手にし、ぱっと開いた。
 特に変わったことはない。
 サドルの濡れを手のひらで払い、自転車に乗った。そして、傘を差したまま自転車で走った。
 特に変化はない。
 
   了


2012年3月24日

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