小説 川崎サイト

 

硝子戸の向こう

川崎ゆきお


 南向きの座敷に、高村は本吉を客として迎えた。庭があるのだが、そこからは見えない。
 六畳の横に長い側全てがガラス戸だ。昔は板の雨戸だったが、エアコンを入れることになり、アルミサッシになった。硝子戸だ。その硝子の上半分は透明だが、下は磨り硝子になっている。そのため、座った状態では庭も空も見えない。
 さらに冬場はカーテンを閉め切ったままだ。外光より、室内の蛍光灯のほうが明るいため、暗くはない。
「庭の手入れなどはどうされてます」客の本吉が聞く。
「見ていない」
「手入れは?」
「ぜんぜん見ておらん」
「それはまた」
「寒いので、締めておるので、庭がどうなっておるのかは冬場は知らん」
「せっかくの南向きの庭。もったいないではないですか」
「ああ、夏はガラス戸を開けるでな。網戸にする。だから、庭は見ておる。きっと秋の終わり頃のままだろう」
「もう春先ですよ」
「それが何か」
「異変が起こっているかもしれません」
「灌木と雑草しか生えておらん。見ても、同じものだと思うがな。もう、何年もそれを繰り返しておる。春先、開けてみると、いつもの庭だ。特に変わったところはない。多少灌木が延びて、二メートルを超えておった年があってな。あれは、最初の頃だ。二年で二メートル。しかし四年で四メートルにはならん」
「でも、かなり背が高くなっているのではありませんか」
「あの灌木は、私が植えたんだ。神社の垣根の木だ。それをちぎって、四本ほど挿し木した。もう十年ほど前の話だ。無事に育ち、二メートルほどになった。二年目かな。それからは、それほど延びておらん。垣根のつもりだったが、四本では無理だ。それで、一本の木として植えたんだ。横に並べてな」
「全部、同じ木ですか」
「いや、神社の垣根の木もあれば、境内の端にあった、若い枝が出てきた木もある。何の木かはわからんが、神社へ行けば、親木おるはず。四本以外にも、挿し木したような気もするが、もう忘れた」
「せっかく植えたのに、見ないと」
「ああ、夏場は見ておるが、エアコンを使うのでな。締め切る。すると、座ったままでは磨り硝子なんで、よく見えん。全部透明ガラスにしたほうがよかったのかもしれん」
「庭には他に?」
「他か」
「そうだなあ。石があるなあ。庭石ではない。花畑を作っておったとき、盛り土をした。その囲いの石だ。一番大きくても漬け物石程度だ。この石を運ぶのが大変だった。大川があるだろう」
「あの大川から運んだのですか」
 大川とは、この地方の呼び名で正式なものではない。
「一週間ほど、自転車で散歩に出たついでに、持ち帰った。石がごろごろある。しかし、結構汚い」
「土は」
「土は、あぜ道の土を失敬した。さすがに田圃の土を取るのは失敬なのでな」
「見せてもらいますか」
「ああ、あんたが買うんだから、とくと」
「はい。間取り図だけでは、よくわかりませんから」
「しかし、車庫には出来んだろ。通りに面しておらんから。玄関には余地はない。モータープールを借りるしかないと思うよ」
「はい、それはもう目星をつけてあります」
「一番近いモータープールは、吉原さんちだ。あの夫婦。自分の庭をつぶして、それで食っておる。まあ、年金だけなんでな。収入はほしかったんだろ。だから、吉原さんちには庭がない。奥さんは花好きなのにね。まあ、花より団子か。せっかくの屋敷なのに、庭がない。庭のない屋敷は殺風景でいかん」
「はい、ここの庭。僕が引き継ぎます。背の高い垣根の木と雑草と、大川の石。いいですねえ」
「垣根の木じゃない。垣根にされておった木だ。幹は細いが、その気になれば、結構高くなる。大木にはなれんがな」
「はい」
「じゃ、見ますかな」
 高村は分厚い遮光カーテンを開けると、真っ白なカーテンが出てくる。それも開けると、下が磨り硝子、上が透明ガラスの戸が出てきた。透明ガラスからは、茂みが見える。灌木だろう。
 そして、ぐーとガラス戸を開けた。
「こ、これは」
 本吉は後ずさった。
「何か?」
 庭を見ている本吉に高村が問う。
「いえ」
 その後、不動産屋から何の連絡もない。

 寒さが去った春のある日。
 高村は、庭に出てみた。
 特に変化は認められなかった。
 
   了
 


2012年4月2日

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