小説 川崎サイト

 

桜番

川崎ゆきお


 高橋が大きなスーパーの駐輪場に自転車を止め、鍵をかけようとしたとき、緑色のものが目の端に現れた。ジャンパーだ。
 ジャンパーだけがそこに浮いているのではなく、着ている人がいる。もしジャンパーだけがそこにあるのなら、高橋はスーパーで買い物をしている場合ではない。人生観を変えなくてはいけなくなるからだ。その前に、幻覚を見るようになったことで、今後心配事が続くだろう。
 幸い緑色のジャンパーを着ているだけの老人だった。
「この雨で残念だね」
 小雨だが、高橋は傘を差していなかった。上着は多少濡れている。また、行き交う人も半々だ。傘はあるが差さない人が結構いる。
「この雨で桜はだめだなあ。日曜まで持たないかもしれない」
 今日は金曜。桜は満開で、散りかけている木もあるが、まだまだ花見時だ。明日明後日もまだ、大丈夫だろう。雨程度では花は落ちない。風はそれほど強くはない。
「いつもベンチに人がいますねえ。今日はいませんねえ」
 高橋は、ほぼ毎日、ここに来ているので、川沿いのベンチがずらりと並び、そこに暇人が昼間から花見をしていたのを思い出す。花を見ながら、座っているだけのことだが、桜のシーズン以外は、それほどいない。だから、ベンチに人が多いのは、花見なのだ。
「そうそう。この雨で、花見は中止だな」
 高橋は、この緑のジャンパーは、何者だろうかと、ふと考え、それでとっさに話に乗ることにしたのだ。それは、不審者に関わるパトロール隊ではないかと思ったからだ。これは大いに高橋の深読みだった。
 つまり、高橋は試されたのだ。話しかけられれば、どう対応するかを。
 高橋は普通の人物のように、普通に世間話に乗った。無理に喋ったと言うべきだろうか。本来なら、無視してもいい。暇で話し好きな老人の相手になる必要はない。だが、見知らぬ人に声をかけてくる、この老人を羨ましくも思える。
 高橋は、これで疑いが晴れただろうと思い、鍵を手に、さっさと駐輪場から離れた。
 入り口のドアを開けると、そこに、もう一人、怪しげな老人がおり、声をかけてきた。
「捕まりましたね。あなたも」
「はあ」
「あれは、桜番ですよ」
「はあ?」
「花見の番人ですよ」
「警備員ですか」
「警備員は警備員でいる。あの緑の爺さんは桜だけの番人なんだ」
「それは」
「そう、いるわけない。それにここは、スパーの敷地だ。川も桜もスーパーが管理している。まあ、川はスーパーではないが、川の掃除は、スーパーがやっている。要するに、ここは町内ではない。だから、自治会など関係はない」
「はい」
「巻き込まれたんだよあんた」
「別に……? 話しかけられただけですよ。普通に」
「彼は花番だ。そんなものいない。彼の妄想だよ。彼の世界に引き込まれたんだよ」
「はあ、そうなんですか」
「気をつけるんだ。危ないところだったぜ。それ以上話を引っ張ると、桜番の世界に引き込まれる。早く切り上げてよかったよ。もし粘っているようなら、僕は助けに行くつもりだった。まあ、無事で何より」
「あなたは」
「桜刑事だ」
「失礼しました」
 高橋は、跳び去るように、スーパーの中に逃げた。
 桜の季節。用心が必要だ。
 
   了


2012年4月14日

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