小説 川崎サイト

 

格言

川崎ゆきお


 世の中には触れてはいけないことがある。それは互いに為にならないためだろう。個人にとっても社会にとっても、それに触れると都合が悪くなる。
 だが、それに触れないと損をすることもある。たとえば貸した金の催促だ。黙っていれば、永遠に返してもらえない場合、それに触れるべきだろう。
 だが、それをすると互いの関係がおかしくなることが予測されるため、なかなか言い出せない。また、催促することで、返してもらえるのなら、関係が損なわれても、得るものはある。しかし、相手に支払能力がないと、言うだけ無駄だ。
 ここでいろいろと昔から格言がある。それに当てはめることで、何とか納得するようだ。
 田中は「得するより損をせよ」の格言を選択した。実際にはそんな格言を言葉として知っていたわけではない。それに該当するのだ。
 これは消極策だ。
「ものは言ってみるものだ」というのもある。関係がそこなれると思い、黙っているのではなく、言えば案外すんなり返してもらえ、しかも礼まで言われ、関係も崩れないこともある。これは積極策だ。
 どの格言を選択するのかは、その人の性分や、程度による。程度とは大至急金が必要で、それが最優先事項で、金がないととんでもないことになるとかだ。人間関係が壊れるなどとは段違いの被害が出る場合、強硬手段に出るだろう。
 だが、田中はその状況にあるにも関わらず、穏やかな格言を採用している。
 それは性分だろう。これがどこまでもつきまとう。
貸している金で解決するのだが、相手に請求しないで、別のところで借金した。貸してくれる相手がいたのだ。
 つまり、田中は貸している金もあれば、借りている金もある。トータルすれば、借金ゼロだ。
 田中が採用した「得をするより損をせよ」は、結局田中の性分に合っているのだろう。早い話、諦めればいいのだ。
 損をし続ける人間は、人から恨みをかうようなことも少ない。ただ、損得は相対的で、最初から得な立場がある。この場合、何もしていないのに、得をしている状態だ。
 田中は、金を貸している相手に請求しなかったので、ぎくしゃくした関係にはならなかった。しかし、そのことにより、恩を感じた相手が、田中を助けたという話はない。
 田中は面倒なことをいやがり、その努力を怠る。そして、すぐに諦める。非常に潔いと言うより、怠けているのだ。執着がないのだ。
 このパターンはどの格言に当てはまるだろうか。これを誉め、愛でる格言が必ずある。また、それを信条にしている人もいるだろう。
 諦めることで、すっきりするので、非常にお手軽だ。
 きっとそれを戒める格言もあるのだろう。
 
   了


2012年4月18日

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