小説 川崎サイト

 

世界観と魔術

川崎ゆきお


 ライオンから見れば、シマウマはただの餌だ。シマウマから見れば、ライオンは敵以外の何者でもない。
 どちらの視点で見るにかにより、趣が違ってくる。世界が違ってくる。
 腹の空かせたライオンが、やっとシマウマを食べることができれば、一安心だ。やっと餌にあり付け、ライオンは生き延びる。
 しかし、シマウマから見れば、そこで、そのシマウマの生涯は閉じられてしまう。
 ただ、シマウマは、自分の一生を考えているかだ。生涯を考えているかだ。
 いずれも人間の視点で、擬人化して見た動物の世界だ。
 もしそのシマウマが自分なら、そのライオンが自分ならと考える。ということは、自分の世界の反映で、自分の世界を見ているようなものだ。決してそれはライオンやシマウマの世界とは違うのだろう。そして、それらの動物に世界観を与えているのは人間だ。
 これは、人が人に対して持つ世界観とも通じる。ライオンの世界が分からないように、他人の世界も分からない。動物に対してだけ分からないのではなく、人に対しても分からないのだ。
 人間の視点から見たライオン世界や、シマウマ世界と同じように、個人の視点から見た他人が存在する。
 ただ、他人の世界は分かりやすい。それほど深く掘り下げたところまで見えないので、だいたいが想像なのだ。憶測なのだ。
 ところが、自分に対しての憶測は根が深く、そして、自分を見ている自分の視点が、常に一定ではない。だから、定点観測が不可能なのだ。
 大村は、そこまで考えて、思考を停止した。それは、ここから先はもう分からない世界になるためだ。
 そして、大村が考えるところの世界観の、その世界とは何かが、これがそもそも曖昧なのだ。
 大村は自分の言葉で考える。だが、このときすでに自分の言葉そのものが、間違っていることもあるのだ。
 大村はそこから先へと進む術は何かと、今度は考える。
 それは、術なので、魔術ではないかと、とんでもないことを思いつくのだが、これはあながち間違っていないかもしれない。どうせ正体が分からない世界なので、科学的分析も怪しいのだ。
 世界観に関して、古くから呪術がある。やはり、ここに何か知恵があったのだろう。どうせ明かせない現実なのだから、その手もあり、ということだ。
 だが、大村は、魔術の修行をやろうとは思わない。なぜなら、その魔術という言葉のいかがわしさを知っているからだ。その証拠に学校で魔術は教えない。
 だが、魔術の中に、解があるような気もしている。
 そして、大村は個人的には魔術が好きだ。その言葉の響きが。
 
   了


2012年4月29日

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