小説 川崎サイト

 

忠犬社員

川崎ゆきお


 物欲は物欲を呼ぶ。欲は欲を呼ぶ。それを意欲的だという。
 物欲と意欲との違いはそれなりにある。物欲はお金さえ払えば手に入る。だが意欲は、意欲が湧かないと、出てこない。
「いい意味で欲を出したほうがいい」
 先輩から高島はそう言われた。
 ということは、高島はあまり欲がない風に先輩から見られていたことになる。そして、この場合の欲は、意欲だろう。やる気だろう。
 高島は与えられた仕事を忠実にこなしている。それだけで一杯だ。だから、意欲的に忠実にこなしている。忠実さに徹する意欲だ。しかし、先輩は、それをこなすだけでは駄目で、今ひとつ先回りして、積極的に仕事をせよと言っているのだ。
 だが、高島の心配は、余計なことをして叱られることだ。それなら、忠実な部下ではなくなってしまう。
 高島は忠犬でいいと思っている。そのほうが安定しており、シンプルだ。よけないことを考えなくてもいい。
 先輩が間違った判断を下しても、それに従っていれば平和だ。
 だが、その先輩が、いい意味での欲を出せというのは、実はこのへんにある。つまり、先輩の間違いに対して、フォローせよという意味だ。言われたことをしているだけではなく、高島も自分の頭で考え、先輩と同じように判断せよ、となる。
 もうここまで来ると、高島は分からない。難解なのだ。
 部下に高島がいるのに、その高島も気付かなかったミスがあった場合、先輩一人の責任になる。少しは気を利かせて、先輩のミスをフォローせよという意味だ。
 高島はそれは分かっているのだが、高島は先輩ではない。先輩の仕事を全て分かっているわけではない。だから、高島が、先輩のミスだと思っても、実はそうではないこともあるのだ。それはミスではなく、先輩のさらに先輩の上司に対する配慮だったりする。
 だから、このあたりがややこしいので、先輩の忠犬に徹している。生き方としてはシンプルで、分かりやすい。
 また、今の先輩の代わりに、別の人が上司になった場合も、同じことをする。その上司の意向に沿ったことしかやらない。
 今の先輩とは違う判断を、次の先輩がやった場合、高島は自分の頭で判断するのではなく、直接の上司の判断に従う。だから、上司が替わる度に、判断も変わる。
 そして、仕事場では平和だ。先輩に逆らったことは一度もない。ただ、それは直接の上司だけに限られる。自分の上司ではない先輩社員に対しては、その限りではない。しかしできるだけ、諸先輩の言うことを聞くようにしている。
 だから、高島は上下関係がはっきりしている職場が好きだ。自分のポジションがはっきりしているためだ。
 ただ、高島はただの忠犬なので、先輩が出世しないと、一人では上へは上がれない。
 だが、今の先輩である上司は、その見込みがない。しかし、いつまでもこの上司ではなく、別の人が来るかもしれない。それまで待つしかない。
 高島がその忠犬社員路線を選んだのは、近所のおじさんがそのタイプで、実に平和な暮らしをしている。もう退職したが、平凡ながら、様子がいいのだ。そして、今も穏やかに暮らしている。
 そんな高島だが、いろいろとビジネス書を読んでいた時期がある。そこでは、「忠犬たれ」という、言葉はない。
 だが、昔の時代劇小説の本を読んでいると、忠犬は忠臣で美談だ。また、時代劇小説ではないが「忠犬ハチ公」の話もある。
 つまり、高島は結構古いOSで走っているようなものだ。
 このオペレーションシステムは、古いが安定しているようだ。
 
   了
 

 


2012年5月3日

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