小説 川崎サイト

 

ピント

川崎ゆきお


「体の調子が悪いのですか?」
 路上で高橋は老人から声をかけられた。
 高橋は自転車を止め、足を着き、体を捻り、下を向いていた。
 老人は、高橋が身体に異常を起こし、力んでいるように見えたのだ。ふつうの止まり方ではなかったからだ。
 実はなかなかピントが合わなくて、何度もシャッターボタンを半押し、合わせようとしていたのだ。
 田畑が広がっている。その畑に野菜が花を付けていた。観賞用ではない。その花びらが真っ白なため、望遠でアップで狙うと、コントラストのない白い面となるため、ピントが合いにくいのだ。それに超望遠レンズでは、ピント精度がやや甘くなる。
 ピントは合っているのだが、ファインダー上ではぼけている。そのまま写してもピンぼけになるのは分かり切っている。しかし、合っているのかもしれない。ではなぜファインダーでしっかりと合っている状態の絵がこないのかだ。
 これは視度補正のダイヤルを回してしまい、度の合わない眼鏡で見ている状態と同じことになっているのではないかと考えた。その忙しいときに、老人から声をかけられたのだ。
「大丈夫?」
「はい」
「どこか悪いのなら、何とかするから」
「いえいえ、写真を写しているだけです」
「写真」
 老人はカメラが見えなかったようだ。高橋の後頭部に話しかけているため、顔に当てているカメラが見えないのだろう。
「写真」
 そう呟きながら、高橋の顔が見えるところまで移動した。
「ああ、写真を」
「はい」
「いいカメラだね」
「ありがとうございます」
 老人は納得できたようで、立ち去った。きっとこの近所の人で、散歩中なのだ。手ぶらだ。
 高橋は結局撮影を中断し、カメラを鞄に戻した。
 そして、両手をハンドルにかけ、移動しようとすると、今度は犬を連れた老人がにやにやしながら近付いてきた。先ほどの様子を見ていたのだろう。
 老人と交差するとき、顔をもう一度見ると、まだ口を開けて笑っている。ただ笑い声はない。だから、にやにやしている程度だが、結構派手な喜びようだ。さっきのやりとりがよほど気に入ったのか、受けたのだろうか。
 しかし、そのことで笑っているにしては、長すぎる。
 そして、頭の小さな犬を引っ張っている。老犬なのか、後ろからゆっくり追従する感じだ。
 その犬の顔を見る。
 何となく笑っているように見えた。
 
   了

 


2012年5月18日

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