小説 川崎サイト

 

不審者カード

川崎ゆきお


 富田は住宅地を自転車で走っているとき、前方の男に呼び止められた。無視してもかまわないと最初思った。見知らぬ人で、服装も怪しい。その男の横には自転車がある。ふつうのママチャリだ。
 富田は関わってはいけない相手だと思い、気が付かない振りをし、通り過ぎようとした。
「ああ、ちょっと」
 男はかなり大きな声で停止するよう命じた。
 富田は特に急ぐ用事もないので、ブレーキを引いた。
「あんた登録しましたか?」
 自転車の防犯登録だと思ったが、相手は警察官ではない。だからそんなことを聞くのはおかしい。
「不審者登録ですよ」
「えっ」
「あなた、最近よく、このあたりで見かけます。不審者登録しないと、危ないですよ。転ばぬ先の杖。あなたのためです」
「それはどこの機関ですか」
「不審者協会B地区支部です」
「B地区?」
「B地区は、御園町の五番地まで、芦原町全体。桑原町三丁目と四丁目です」
「はあ」
「登録すると、安心して散歩できますよ」
「はあ?」
「安心して不審者をやってもいいのです」
「あなた、誰です?」
「支部長補佐です」
「ああ」
 富田は不審がった。
「不審者カードを発行します。登録されればね。無料です。それを見せれば、まあ、通行手形のようなもので、証明証になります。身元が保証されるということです。だから、誰に呼び止められても、安心です」
「何が証明されるのですか」
「不審者だということをです。このカードで、しっかり不審者だと証明されるので、あなたはもう不審な人物じゃなく、不審者になれるのです。誰が見ても怪しい人物であることを示すことで、曖昧さから解放されます。確定が得られるわけですよ」
「でも、僕、ふつうの生活者で、この先のF町に家もあります。だから、不審者じゃないのですよ」
「いやいや、その状態が不審なのです。どちらか分からない。怪しいのか怪しくないのかが分からない。これが一番世間が嫌うのです。だから、不審者のレッテルを安心して与えたいわけです。このカードが、それを証明してくれます。その結果、お互いに安心を得られるわけです」
「いらないです」
 富田はその場を離れた。
 不審者の意味が今一つ理解できなかったからだ。
 
   了


2012年5月21日

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