小説 川崎サイト

 

森のガイド

川崎ゆきお


 富田は、癒しについて考えていた。それはよくテレビやネットなどで使われているためだ。そのため、自分も癒される何かを持ちたい、そういう空間に浸りたい、と思うようになっていた。これは言葉に引っかかったというべきだろう。その言葉が頻繁に使われる以前から、癒しという言葉はあったが、富田はそれほど意識していなかった。癒しではなく、安らぎを使っていたように思う。
 富田は「癒し」と「安らぎ」とでは、安らぎの方が使いやすいと思っている。なぜなら、富田は「癒し」の「癒」が書けないからだ。
 それは癒しではないかもしれないが、里山歩きを富田は楽しむようになった。精神的なリラックスを求め、日常から少し離れて、自然の中に身を置きたかったのだろう。しかし、里山歩きも、少し手垢がつき始めていた。それは、「里山」という言葉だ。富田は馴染めない。また、山のことを森と呼ぶこともだ。
 里山は、ただの村の裏山だ。しかし、里山は山だが、森には山はつかない。里山の山より、森と呼ばれている場所の方が山は高く深いはずなのに。きっとこれは西洋の平野部にある森をモデルにしているのだ。そんな木だけが自然に生えている平地など、日本ではほとんどないだろう。公園程度だ。富士山麓の大樹海なら、森かもしれないが、都心近くにはない。
 さて、それで富田は、暇な日は、里山歩きをしているのだが、森のガイドがいる里山があることを知り、その地を訪ねた。
 それは、富田が普段歩いている里山が村の裏山のため、不審者扱いされることが多い。よく「裏山に逃げ込んだ」というあの光景に近い歩き方になるためだ。村の里山、つまり裏山は所有者がいる。入山権などがある山だ。そこは村の財産なのだ。個人の持ち山のこともあり、勝手に侵入したことになり、あらぬ疑いをかけられ、癒しどころの騒ぎではなくなる。
 それで、森のガイドがいる里山なら、観光客待遇で歩けるのではないかと思ったのだ。正々堂々と里山癒しが出来るわけだ。
 郊外の小さな町から、少し歩くと山が迫り、その登り口あたりのところに、ガイドが立っていた。ガイドがいるほどなので、もっと人が多いと思ったのが、そうではなかった。富田はその若いガイドを知っている。テレビで見たからだ。そのトピックスのような番組では、結構歩いている人がいたのだが。
 そして、その番組を見て、もっと多くの人が訪れるのではないかと心配していたが、逆に今はお一人様状態なので不安になってきた。その森のガイドと、たった二人きりで、森を歩くことになる。これは危険ではないか。富田はあらぬ想像をした。もし自分が若い女性なら、あのガイドの青年と一緒に誰もいない山中に入り込むことになる。おそらくそんなお一人様の山ガールなどいないとは思うが。
 ガイドの青年は富田を見つけると、すぐに笑顔で迎え、森へと富田を導いた。先導する感じだ。
「この森へは初めてですか?」
「はい」
 これがホラー映画なら、怪しい小径に連れ込まれ、その先にある洞窟の奥で、怪しげな儀式に出合うのかもしれないが、そんなロマンはリアルではない。ただ、誰もいない山中なので、何が起こっても、人を呼べないだろう。幸い登山口近くに人家があり、そこまで逃げ込めば問題はないように思える。そんなあらぬことを富田は考えていると、これは癒しどころか緊張を要するミステリーやサスペンスジャンルになってしまう。
 そこで、富田は気を許して、ガイドに従うことにした。信じる者は救われるのだ。
 大きなベンチのような岩があり、その前でガイドは何やら語り出した。広葉樹の赤ちゃんが出来ていると、地面を指さした。二センチほどの草が生えているのかと思ったのだが、それが木の赤ちゃんのようだ。
「こちらにもありますから、見てやってください。この子たちを」
 富田が急いでその方向へ進むと、「あっ」とガイドの叫び声がした。
 何か異変でも起きたのだろうか。しかし、周囲にそれらしい対象物はない。その「あっ」は悲鳴に近い声だ。
「赤ちゃんが」
 まさか、赤ちゃんが捨てられているわけではなかろう。それなら富田にも見えるはずだ。この場合、木の赤ちゃんのことだろう。
 ガイドは富田の方を見ている。そしてその視線は富田の足下だ。
「踏みましたね」
「あ」
 富田はあわてて足を上げた。左足の下は何もなかったので、右足を上げた。すると、そこに踏みつけた木の苗があった。幸い折れてはいない。
「新しい森の生命です。大事に見守る必要があります。気をつけてください」
 しかし、こちらの赤ちゃんも見てくださいと呼んだのは、このガイドだ。そこに苗があることを知っていたはずだ。だから、呼ぶ前に注意すればいいのだ。
「僕は森のガイド、案内人ですが、森の守人でもあるのです。森を傷つけないよう、お願いしますね」
 富田はカチンと来た。もう案内人など必要ないので、一人で行こうと思った。
「じゃ、この先の見所を案内します。わき水と樹木の持っている水量についてお話しします」
 といいながら、富田の方へ寄ってくる。赤ちゃんを踏まないように、小径に戻るためだ。
 富田はそのまま回れ右をしたとき、リュックが何かをこすった。
「あっ」
 またもや、あの声だ。
 岩にリュックをひっかけたようだ。富田は少し衝撃を感じたので、リュックの中のカメラが心配なので、開けて確認しようとした。
「これはひどい」
 岩に苔がこびりついており、緑の地に線が走っていた。岩肌が、そこだけ露出している。
 ガイドは富田の目を見た。
 富田は目が合った瞬間、走り出した。
 まるで、ホラー映画のワンシーンのように。
 
   了


2012年6月3日

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