小説 川崎サイト

 

中央広場

川崎ゆきお


 中央広場は円形で、闘牛場のように死角がない。端っこや隅っこがないのだ。
 高田と井上は困った顔だ。二人とも同じことで、困っているようだ。居場所を失ったのだ。
 中央広場はメンバーが集まる場所で、交流センターのようなものだ。毎日、参加することが義務づけられている。
 それまでの中央広場はいびつな形をしており、太い柱や、植え込みが端にあり、どこまでが広場なのか、廊下なのか、通路なのかが分からない状態だった。二階へ向かう階段のの踊り場と中央広場の境界線も曖昧で、階段の下などは、完全な死角になっている。それは広場から見た場合のことで、どこからも見えない場所ではないが。
 高田は中央広場での交流会ではこの階段下の三角スペースにいる。井上は柱と植え込みの陰にいる。本人はそこを陰間と呼んでいる。障害物などが盾となり、中央からは見えにくい。どちらと言えば高田のいる階段下の方が、死角率は高い。
 中央広場入り口で出席カードを入れれば、それで交流に参加したことになる。そして、この二人は、中央広場から立ち去るのではなく、死角になっている隅や端や窪で参加しているのだ。
 それがある日から、中央広場の仕切り作り直され、楕円形となった。植え込みは片づけられ、階段下は中央広場内ではなくなり、柱も中央広場外とされた。つまり、中央広場が狭まったのだ。闘牛場のように狭いフロアに。
 これは、隅っこや端っこをなくすことにより、仲間外れを減らすための処置らしい。
 しかし、高田も井上も、中央部に行くことは非常に苦しい。何が苦しいのかと言うと、そんな華やかな場所に出るような人間ではないと思っているからだ。現に中央部のさらにど真ん中のセンター中のセンターにいるのは、超人気者で、実力者だ。頭が良く、会話もうまい。スポーツも秀でている。これは暗黙の了解があるようで、貧弱な人間はセンター付近には近付けない。また、そんな禁じ手がなくても、近寄りたくないだろう。
 楕円形の闘牛場のようなその空間は、力のあるものほど中央にいる。順位が決まっているのだ。だから、センターをフラットにし、攪拌しても、そのポジションは、すぐに固定化する。
 高田と井上は、中央から一番遠い辺境にいるようなものだが、実はそれ以下のところでないと、安心できないようだ。つまり、中央から見えない位置で静かにしたいのだ。衆人にさらされたくないのだ。
 だから、周辺部参加ではなく、曖昧な参加を望んでいた。
 中央部付近の仲間に声をかけられ、そこへ行くだけでも、足がすくむ。全員から見られているのではないかと思っただけで、足がひきつり、まともに歩けない。ひどい場合は腓返りを起こし、痛みが収まるまで、座り込んでいたこともある。
 井上は、下痢を起こし、中央部ではなく、トイレへ行くことになる。
 身を隠すことが出来なくなった中央広場は、高田と井上、あと数人に厳しい冬をもたらせた。
 それを察してくれたのか、まだ少しましな数人が人垣を作ってくれた。人間の盾だ。その盾役も、決して中央部を自在に泳げる人ではない。大きなプレッシャーで、小さくなっている。
 しかし、人垣を作ることで、ひとかたまりになれるため、結構居心地がいいようだ。
 人は人に癒されるとは、このことで、物陰や死角が消えた分、生身の肉体で陣を張ったようなものだ。
 この劣等な連中には会話らしきものはない。そんなことをしなくても仲間なのだ。
 
   了
   


2012年6月10日

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