小説 川崎サイト

 

神の領域

川崎ゆきお


「神とは何でしょうか。妖怪博士」
 雨が降り出し、ずぶ濡れになった編集者が、靴下を脱ぎながら問いかける。いつも来る妖怪博士付きの男だ。
「その前に、ちょっと靴下を乾かしてもいいですか、何処かぶら下げられるような場所、ありませんか」
 妖怪博士は、玄関の軒下を指さす。
 編集者は軒下を見上げるが、引っかけるものがない。
「何かハンガー類はありませんか」
 妖怪博士はクリーニング屋がサービスで付けてくれた針金のハンガーを探し出し、それを渡す」
「すみません。靴に穴が空いているのですよ。何かを踏んづけたりしたんじゃなく、縫い目です。靴の。そこが緩くなって水が浸入してくるんですよ。少々の雨なら、問題はないですが、今日のような強いにわか雨では、持ちません」
 そう言いながら、軒下にハンガーを引っかけ、そこに靴下を垂らす。
「イワシの頭も信心から」
「何ですか、それは、諺ですか」
「いや、私も正確に、その言い回しを知っておるわけではない。ただ、イワシの頭も信心からいうリズムが頭の中で、語呂として残っておってな」
「それは神と関係しますか」
「信心だろ。だから、神仏に関係するのではないかな。果たしてイワシの頭はどんな信仰かは知らん」
「イワシの頭を信仰する宗教や宗派があるのですか」
「あまり聞いたことがない。だがイワシ信仰や信心はあるかもしれん。魔除けでニンニクをぶら下げるようなものじゃ」
「イワシ教なんてあるんじゃないですか」
「要は、多種多様の信仰があるということじゃ。ただ、鰯の頭の信心からは、見下げた言い方なので、私は気に入らん」
「それと神は関係しますか」
「イワシ系の仏などあまり聞かんので、神系だろうなあ」
「そうですねえ。神はあらゆるところに行き渡っていますねえ。神様だらけです」
「多いと、一つ一つの勢力が小さくなる。まあ、そういう問題ではないがな」
「神なんですが、これは一体何だったのでしょうねえ」
「神がいる場所を考えればいい」
「神社ですか」
「もっと昔じゃ」
「じゃ、山や海」
「そうそう、うまく誘導できた。そういうことだ。人が住まないような場所、人が入りにくい場所に、神がいる」
「高い山なんて、そうですねえ」
「高山に用はない。植物も生えておらんだろ。岩と石がごろごろしておるようなところでは、何も生産出来ん。それに高すぎると、息苦しい。今でもエベレストなどは素では登れん。海なら素潜りではもう行けん深い場所だな。これは、用がないのではなく、物理的に行けないのだ。だから、人の領域ではなく、神の領域ということになる」
「でも高い山にも結局神はいなかったのでしょ」
「神と似ておるが、天というのがある。天罰覿面の天だ。天が見ておる。天に誓って、の天だ」
「それは相当上空ですよね。でも結構高いところ、飛行機は飛んでますし、宇宙ステーションなんて、さらに高いところにいますよ。あそこは素ではいけませんよね」
「神は高見から見ておられる。その高所に人間が行っておる。横に神様がおってもおかしくはないのじゃが、そんなニュースはない」
「じゃ、もっと高いところにいるんじゃないですか」
「高すぎて、地球など星屑の一つ程度にしか見えん。よほど目のよい神様でないと、天から見られんだろ」
「そうですねえ。高すぎて、個々の人間の動きなんて、見えないですよ」
「だから、神山も神山ではなくなった。同一空間としてみた場合はな」
「じゃ、神は妖怪と似たようなあり方じゃないですか」
「まあ、そうなんだが、それでは話が展開せん。同一空間で、地続きの場所にいないとな」
「そうですねえ。リアリズムがありませんもんね」
「そこでだ」
「はい」
「イワシの頭でもいいということになる」
「イワシの頭に神がいるんですね」
「仏像もイワシの頭も、何でもいいんだ。ラッピングなのでな」
「神や仏さんを入れる、入れ物ですか」
「仏像に仏が入るのなら、イワシの頭にも入る」
「じゃ、イワシの頭に入ったのは妖怪になるんですね」
「先に言うな」
「はい」
 その日の雑談は、そのあたりで終わった。
 雨は降り止まないし、靴下はまだまだ乾かない。
  
    了

   


2012年6月12日

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