小説 川崎サイト

 

荒ぶる神

川崎ゆきお


「荒ぶる神だねえ」
 フェリーの待合室だ。
 台風が接近し、欠航となった。あと一便早ければ、本土へ渡れたのだが、予報よりも台風の接近が早かった。まだ夕方だ。
「最終便まで全部欠航かなあ」
「荒ぶる神が立ち去るまではね」
 待合室は徐々に人が少なくなる。今夜中の出航は無理とみた客が多かったようだ。
 窓口の人間も片づけ始めている。
「何とか渡れませんか」
 客が聞く。
 受付員は首を振る。フェリー一隻を動かすためには、大変な人手と手間がかかる。夜半風雨は収まるかもしれないが、待機して待つほど客は多くない。
「遠回りになりますがバスなら走っているかもしれませんよ」
 受付員は曖昧な言い方をする。
「走ってますか。バスが」
「走っている可能性があります」
「可能性ですか」
 高速バスで橋を渡れば海を渡れる。そして、船よりも、条件が悪くても走ることがある。
「問い合わせてみます。乗り場はどこでしょう」
「フェリーターミナルからは出てません。一度バスターミナルまで戻ってください」
「バスターミナルへはどうやって行けばいいのですか」
「タクシーかバスです」
「バ、バスは走っているのですね」
「あなたさっきバスで来られたんでしょ」
 青年は待合いのベンチに戻った。
「高速バスで行けるかもしれません」
「荒ぶる神の前ではすべてが無力」
「いえいえ、橋は大雨でも大丈夫です。問題は風です。幸い、そんなに強くないです。だから、走っている可能性が高いです」
「私はいい」
「運休ですよ。もう今夜は無理ですよ。フェリーの人もみんな帰って行きますよ」
「あれは、休憩で戻るだけで、呼び出されれば、また来る」
「じゃ、僕はバスで行きます」
「荒ぶる神の前では動かぬが肝要」
 青年はバス会社に問い合わせた。すると、今のところは動いているが、その後は分からないらしい。乗るなら今だと。
「荒ぶる神が……」と、言い続けてる髪の毛を後ろで束ねた老人は居眠りを始めた」
 どれほど寝たのだろうか。
 人の話し声で目覚めた。
 夜明け前だ。
 乗船のアナウンスがあった。乗客たちは桟橋へぞろぞろ向かっている。
「荒ぶる神が去ったか」
 と、言いながら、その列に加わる。
「お爺さん」
 後ろから声をかけられた。高速バスへ乗りに行ったあの青年だ。
「だめだったかい」
「何がです」
「バスだよ」
「乗れましたよ」
「じゃ、なぜここにいる」
 老人はまるであの世の人間を見るように、青年の全身を見つめた。
「まだ、戻ってきたのです」
「戻ってはだめだ。もう渡ったのだろう」
「宅配なので」
「えっ」
「配達業です」
「バイク便かね」
「徒歩の宅配です」
「じゃ、高速バスは動いていたのだね」
「はい。帰りも、そのバスで戻ってきました」
「運び屋か」
「ああ、まあ、そんな感じです」
 青年は大きなメッセンジャーバッグを袈裟懸けしていた。
「荒ぶる神が去ったので、私は渡る」
「はい、行きましょう」
 
   了
   


2012年6月20日

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