小説 川崎サイト

 

太鼓持ち

川崎ゆきお


 チャイムが鳴るのでセールスマンならどやしつけようと思い、田村はいきなりドアを開けた。
「あ、田村部長」
「なんだ君か」
「体調が悪いと聞きまして、お見舞いに」
「悪いときに見舞いはないだろ。臥せっていたらどうするんだ」
「奥様は」
「遊びに行ってる」
 田村は部下を家に入れた。
「お構いなく」
「構わないさ」
「はい、私が用意しますので」
「何の」
「だからその、お茶とか」
「どこにあるのか知ってるのかね」
「炊事場へ行けばあるかと」
「炊事場?」
「違うんですか」
「炊事場って、君、いつの時代だね」
「ああ、キッチンでしたね。冷蔵庫から適当に何か出してきます」
「そんなことしなくてもいいさ」
「まあ、そうおっしゃらずに部長」
 部下は冷蔵庫の横にあるミネラルウオーターとコップを持ってきた。
「そのコップは、妻なのだよ」
「失礼しました。何かありませんか使っていいようなコップ」
「ガラスケースの中に並んでいるだろ。それは客用だから、使っていい。どうせ貰い物だ。捨てられないので、並べているらしい」
 部下は生ぬるいミネラルウオーターをグラスに注いだ。
「どうぞ部長」
「僕はいいから、君が飲みなさい」
 部下はごくっと飲む。
「生ぬるいので、気持ち悪いです」
「それは、米を炊くための水らしい」
「ああ、そうなんですか。飲料水かと思っていました」
「もう見舞いはいいから、帰っていいよ」
「まあ、そうおっしゃらずに部長」
「体調が悪いわけじゃない。ストレスだよ」
「部長でも、そういうのがあるのですねえ」
「何ともならん。あの専務は」
「村田さんのことですね」
「よくわかるねえ」
「僕は部長派ですから」
「ちょっと休んだだけで、見舞いに来るとは、君は太鼓持ちか」
「どうして、太鼓持ちって言うんでしょうねえ」
「太鼓を叩いて調子を合わせるからだよ」
「なるほど」
「提灯持ちもいる」
「時代劇でありますねえ。夜道、主人の足下を照らしながら後ろ向けに歩いている人」
「そこまで見てない」
「それより、君は上には腰が低く、下には手厳しい人間じゃないのかね。太鼓持ちにはそのタイプが多い」
「下にはふつうです」
「しかし、僕の太鼓持ちはやめた方がいい。身のためだ」
「いえいえ、次期専務、次期社長ですよ。田村さんは」
「それは僕が決めることじゃない」
「部長は本格派です。実力派です。だから、一番それが正しい方向かと」
「読みが浅いよ」
「社長も認めていますよ」
「あの社長はそこまでだ」
「やはり、あの専務が、問題なんですか」
「ああ、それでストレスで、今日は休んだ」
「部長にも苦手な人がいるんですね」
「あの専務は親族だ。会長のね。だから始末が悪い。愚鈍だ」
「それは手厳しい」
「上にそんな人間がいると、会社は不幸なことになる。もうなっておるがね」
「はあ」
「これは手強い」
「だから、革新派の部長にみんな期待しているのです。社長も」
「だだっ子だからね。あの専務。だから、何を言い出すか分かったものじゃない。愚鈍より、静かなる阿呆として、おとなしく座っていればいいものを、下手に仕事をやりたがる。口出ししたがる」
「はい、おっしゃってください。どんどん。グチってください。どんどん」
「君はあからさまな太鼓持ちだね」
「はいはい、あから様です」
「頭が痛い。君と話していると」
「太鼓持ちって、師匠の太鼓を持つ、付け人かと思ってました」
「師匠?」
「太鼓の師匠です。だから、太鼓持ちは、その弟子で」
「お座敷太鼓だから、鼓じゃないのかね」
「いえ、お囃子で使うような、あの太鼓です。バチで叩くやつです。鼓は手で叩くやつでしょ」
「じゃ、大太鼓を持って付いてくるのが、太鼓持ちかね」
「それは、お座敷用の小振りな太鼓でしょ」
「まあいい」
「私は部長を応援しています」
「じゃ、僕が退社すると言えば、どうする」
「はあ」
「はあじゃないよ。辞めると、もう君とは関係がない。君にとっても意味がないだろ」
「そこまで悩んでおられるのですか」
「何ともならからね」
「何とかしましょうか」
「何だ、その目つきは」
「何とかできますよ」
「どういうことだ」
「策略です」
「それはだめだ」
「他に方法がないのでしょ」
「僕はそういう手は一切使わない。分かるね」
「じゃ、こちらが勝手にしたということで」
「それもだめだ。聞いてしまえば止めるしかない」
「それに」
「何か」
「君は専務派、つまり会長派かもしれないからね」
「それはありません。専務にも会長にも近付けませんよ」
「太鼓持ちならできるだろ」
「部長、私のことを疑っておられるのですか」
「だって、そうだろ。休んでいるところをわざわざ訪ねてくる社員など君が初めてだ。動きがおかしいよ、君」
「あ」
「あ、じゃない」
「はい」
「君がやっていることは、専務が叔父の会長にやっていることと同じなんだ。その方法はだめだ」
「はい、分かりました」
「今日のことは聞かなかったことにする。いいね」
「はい」
「それに」
「何ですか」
「僕が退社すれば、円満に収まるかもしれん。そう考えておる」
「部長」
「まあ、時間の問題だ。だから、君もそれに巻き込まれないように、立ち振る舞いには気をつけるんだ」
「はい、でも」
「何だ」
「社内戦争勃発で、面白い展開になりそうだったので、残念です」
「それは本来の仕事じゃないだろ」
「派閥闘争、これは面白いですよ部長」
 どの団体にも、そういう特殊な事情で、ポジションを得た、ややこしい人間がいるものだ。
 
   了


2012年6月23日

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