小説 川崎サイト

 

空回り

川崎ゆきお


 不思議な話のほとんどは錯覚が多い。
 眼鏡をかけていながら眼鏡を探すことがある。複数の眼鏡を持っている場合だ。あの眼鏡はどこへいったのかと、探すのだ。眼鏡をかけているので、探しやすい。だから、既に眼鏡をかけていると気づくはずなのだが、いつも眼鏡をかけていると、よく見えるのが普通になり。だから普通の感じで探しているのだ。
 また、外出先から帰ってきたとき、自分の自転車を見ながら鍵を探していることがある。いつもポケットに部屋の鍵と自転車の鍵を入れている場合、まず家の鍵を探す。ポケットをまさぐりながら探す。そのとき、もう一つあるはずの自転車の鍵がないことに気付く。もう家に着いたのだから、自転車に乗る必要はない。部屋に入らないで、中に入らないで、そのまま自転車に乗り、別の場所へ行くのなら別だが。この場合、自転車を取りに来たことになる。
 どちらにしても、自転車を見ると、鍵を探す癖がある。そして、鍵が見つからないので、慌てる。落としたのかもしれないと。
 それはすぐに気付くのだが、鍵は自転車側にある。抜いていないのだ。
 これは、自転車で出かけ、店先などに止め、再び自転車に戻ったときにも、鍵を探そうとする。この場合、鍵をかけないでいたことを思い出すまで時間がかかる。まずはポケットから探し出すためだ。そして、ないことを知り、かけ忘れたことに気付いて、自転車を見る。すると、鍵はそこについている。
 眼鏡の場合は探す必要はない。既にかけているのだから。そして自転車の鍵も、探す必要はない。探さなくても乗れるからだ。
 ちょっとした行き違いで、妙な動きをしてしまう。眼鏡や自転車なら、大したことにはならないが、それが仕事や事柄に関する錯覚の場合、勘違いですめばいいが、そうでない場合は、厄介なことになりかねない。
 思い違い、勘違いの多くは、先入観による先走りが多い。そして気の利く人、気がよく回り、気遣いするタイプに多いようだ。
 ぶつかってから何とかすると言う鈍いタイプの方が、余計な心配をしないですむのかもしれない。
 
   了
   


2012年6月25日

小説 川崎サイト