小説 川崎サイト

 

トイレの夢

川崎ゆきお


 それは悪夢だった。しかし合田は昼過ぎになると、どんな夢だったのかを忘れていた。
「夢の話はいいのだけどね合田君。聞きたくないと言ってるんじゃないけど、その夢、要領を得ないんだよ」
「半分以上、いや三分の二、いや、四分の三以上忘れているので、断片的なんだ」
「場所はトイレなんだね」
「それがまた、よく分からないんだ。トイレにしては広すぎる。映像としてはトイレの戸の向こう側なんだ」
「そのロケーションが分かりにくいんだ」
「トイレのドアが開いていて、いや、それがドアだったのか、引き戸だったのかも分からない。とにかく開いている。そして、向こうの部屋が見えている」
「それはどこなの?」
「分からない」
「でも、どこかで見た映像でしょ」
「昔のトイレかもしれない。まだ汲み取り式で、板敷きで。このトイレは子供のころ水洗になり、洋式になったんだ。だから、わずかな記憶だけで、そのイメージが一番近い。小さかったので、トイレが大きく、広く見えていたんだと思う。それにそのトイレ、いろいろなものがごちゃごちゃ並んでいて、物置のようなトイレだったんだ」
「それで、どこが悪夢なんだ?」
「怖かったことだけを覚えている。怖い夢を見たなあと思って、起きてきた。夢でよかったと思ったよ。目を覚ましたとき、異常な場所に、まだいるんじゃないかと、周囲を見回したよ。まだ夢の続きではないかとね」
「だから、どういう怖さ?」
「動けないんだ。何か危険な状態になっていて、何とかしないといけないんだけど、動けないんだ。夢の中で金縛りにあったような感じなんだけど、少しだけ動けるんだ。ゆっくりだけど。そのスピードじゃ、だめなんだ。だから、すごく焦ったよ。何とかしないとと」
「何が起こったの」
「それを忘れているんだ。起きたときは覚えていたけど、昼前に忘れた」
「一度は、記憶に残ったんだろ」
「そうだ」
「じゃ、その記憶、まだ消えていないかもしれないよ」
「それが、思い出せないから、遠くへ行ってしまったんだと思う。手繰れないほど深いところに落としたような」
「それで、覚えていることは。トイレのような室内と、開いている戸の向こう側だけかい」
「そうなんだ」
「戸の向こう側はどうなってた」
「廊下か部屋か、よく分からないけど、家の中で、きっと、それは子供の頃の家の中の風景だと思う。黒い柱があって、ガラス戸のようなのが、続いていて、畳の間の一部も見えている。きっとそのガラス戸は炊事場の土間があった場所だと思う」
「うーん。ローカルすぎて、分からないよ」
「こうして話していると、部分部分思い出していくような気がしたんだけど、やはり、無理だ」
「だから、話さなくてもいいような夢なんじゃない。聞いてもらいたければ、もう少し話として出来ているような感じでないと」
「ただ、怖い。何かが迫っている。だから、すぐにアクションを起こさないといけないんだけど、スローモーションのように動けない。回避できることなのに、出来ない。その怖さなんだ」
「人は出てくるの?」
「その記憶もない。人がいたような気がするけど、その人が何をしたのかも分からない。人の怖さじゃなく、動けない怖さなんだ」
「それで、起きたとき、どんな感じだった」
「まだ、危険な状態じゃないかと冷や冷やしたよ」
「他には?」
「トイレに行きたくなった」
「そう」
「時計を見ると、寝入ってから二時間もたっていなかった」
「寝る前、トイレに行った?」
「昨日は行ってなかった」
「じゃ、それだよ」
「どれ?」
「尿意だよ」
「それが、あんな怖い夢を見せたの」
「寝小便しないように、悪夢を見せて、目覚めさせたんだよ」
「そうかなあ」
「だって、合田君」
「何?」
「君の見た夢、何ら具体的なメッセージがないんだもの」
「そういえば、悪夢で目覚めて、しばらく怖がってたけど、夢だと分かって、急いでトイレへ行ったよ」
「合田君」
「何」
「あまり、夢を人の話さないほうがいいよ」
「ああ」
「ただの生理現象だから」
「分かった。寝る前、必ずトイレに行くよ」
「うん、そうしたまえ」
 
   了
   


2012年6月26日

小説 川崎サイト