小説 川崎サイト

 

牡丹灯籠

川崎ゆきお


 梅雨の晴れ間だった。
 山形は、梅雨と聞くと、おつゆさんを連想する。つゆという名の女幽霊だ。一人ではない。お供がいる。牡丹灯籠という怪談で有名だが、山形は、それを変形したドラマを見たことがある。そのため、牡丹灯籠の本当の話や、設定は知らない。
 牡丹灯籠はある武士の元に毎晩毎晩おつゆさんと、そのお供がやってくる。ここでのおつゆさんは花魁だ。武士はこの花魁に好かれてしまい、向こうからやってくるようになる。お供はおつゆさん付きの女中か、乳母だろうか。牡丹すかしの灯籠を、このお供の女が持っている。おつゆさんは、武家の娘だったのだ。
 それは梅雨の晴れ間ではなく、雨が降り止んだ深夜だ。曇っている。雨空だ。そのため夜空に月がなく、非常に暗い。時は江戸時代、深夜に人はほとんどうろうろ出来ないだろう。木戸が閉まり、よその町内へは移動できない。しかし、幽霊なら別だ。
 花魁とその付き人の二人が、暗闇に近い江戸の町を歩いている。だが、幽霊だけに足はない。そのため、すーと移動する。動力は分からない。また、地面すれすれでなくてもかまわないのだが、そこは習性とでも言うべきか、歩いているつもりなのだ。その気になれば、屋根ほどの高さでも空中移動できるはずなのだが、この二人は人間の規律を守っている。飛んでいくというのは、受け入れにくいのだろう。だから、足はないが、歩いているかのように、すーと移動していく。
 武士は毎晩、おつゆさんとの逢瀬に夢中になるが、日に日にやせていく。目の周りが黒くなる。
 それを見かねた近所の坊主が、お札を用意する。それを家の出入り口に貼ることで、幽霊を入れないようにするためだ。
 そして、その晩、二人の幽霊は、夜の町並みにぽわんと灯った牡丹柄の灯籠を先頭に、じんわりじんわり近付いてくる。
 山形が梅雨時、思い出すのは、この光景だ。暗いので牡丹灯籠だけが向こうからやってくるように見える。灯籠はランタンのようなものだ。実際には花街向け照明のようなものだ。
 そして、灯籠がさらに接近すると、二人の幽霊がうっすらながら見ることが出来る。しかも歩かないで、移動している姿を。
 お札で封じられ、おつゆさんは悲しむ。そして、その情にほだされ、武士は開けてしまう。
 戸を開けなくても幽霊なので、入れるのだから、ここでは札を剥がしたのだ。障子を貼る、あの薄い水のりで貼ってあったに違いない。
 そのドラマでは、室内を盗撮するようなカメラワークで、中の三人をとらえている。お供は正座し、牡丹灯籠は鴨居につるされ、風で回り、牡丹の色が室内をミラーボールの光線のように照らしている。
 そして、武士は骸骨と閨の中。
 山形は一度だけ見たドラマなのだが、梅雨時になると、思い出すのだから、非常に強いインパクトがあったのだろう。
 
   了


2012年7月9日

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