小説 川崎サイト

 

ネット神社

川崎ゆきお


 増田は夕食後に必ず行く駅前通りの喫茶店がある。食後のお茶だ。家でも飲むが、自分で作ったコーヒーでは味気ない。それが喫茶店のコーヒーより味覚的においしくても、香りがよくても、そこがポイントではないのだ。コンクリートで囲まれた部屋では殺風景なのだ。いくらインテリアを工夫しても、室内は室内だ。そして、室内から見える外の風景は隣のマンションで、窓がこちらを向いているので、常にカーテンを閉めている。
 窓から外を見ても、コンクリートの壁では殺風景だ。夕食後は、さすがに夜景となり、外の風景を楽しみにくい。ただ、それが高台からの夜景なら別だろうが。
 閉塞感からの解放策として、増田はテレビやネットを見ている。その先には人がうろうろしている浮き世がある。世間がある。ただ、それはバーチャルではないものの、現実のそれではない。声をかけても答えてはくれないだろう。ただ、ネットなら、書き込むことで反応があるかもしれないが。だが、それもかったるい。別にコミュニケーションが好きなわけではないからだ。
 それで増田は人が行き交う駅前通りの喫茶店に行くことにしている。テレビはゴールデンタイムで面白いものをやっているが、喫茶店では特にそんなものはない。お茶を飲んで座っているだけなので。
 ところが、その夜、増田は妙なものを見た。その姿は人間で、どこにでもいそうな通行人なのだが、人数が多い。
 その近くに飲み屋が数店あり、団体客が出入りするとき、たまにその光景を目撃するが、今夜は人が多すぎる。駅へ向かっているのだが、どこから湧き出たのだろう。飲み屋から湧き出たとすれば、郊外側へ向かっていることになる。そこには何もない。普通の宅地があるだけだ。
 飲み屋から湧き出た場合、喫茶店前を通るのは、三次会あたりで、喫茶店に入るためだ。だが、そんな大きな店ではないので、団体客では入れない。その先にファミレスがあり、そちらへ向かうだろう。しかし、今夜はそちら側から駅へ向かっているのだ。湧き場所としてはファミレスが有力だ。
 その行列の中から、あるカップルが喫茶店に入ってきた。
 団体さんの中に最初からいたカップルなのか、その団体とは全く関係のない普通のカップルなのかは分からない。だが、流れとしては、その団体から抜け出してきたように、増田には見えた。
 そして、増田の近くのテーブルに着いた。
「何ですか」
 増田はいきなり問いかけた。
「ああ、イベントです」
「この近くで?」
「はい」
「何かなあ。私はこの近くに住んでいるのだけど」
「そうなんですか」
 増田は少しだけ思い当たることある。駅前商店街のイベントかもしれない。そういうところが主催者になり盆踊り大会などもやる。しかし、駅前の人にしか分からないので、当日でないと、何の騒ぎなのかが分からない。この場合、浴衣姿や、縁日で売っているような風船や光り物のおもちゃなどを子供が持っているので、盆踊り大会があったことが分かる。この近くの小学校の校庭で行われていた。だが、まだその季節ではない。
「どんなイベントですかな」
「網神社のイベントです」
「アミ神社?」
 増田はぴんとこない。この近くにそんな神社があったのかもしれないが、これだけの人が集まる祭りになるとは思えない。神社といえば、天神様が近くにあり、正月三が日だけ、地元の人が初詣する程度の規模だ。
「おじさんは、この近くの人ですか。いいですねえ。網神社が近くて」
「その網神社とは何ですか」
「ネット神社です」
「はあ?」
「この先に網神社の祠があるんです。誰かがそれを発見し、ネット神社にしたんです。ネットの神様です」
「ネットというのは頭にかぶるあれじゃないですよね。インターネットの、あのネットですかな」
「そうです」
 確かに網神社と記された祠は存在していた。海が近いのだが、漁師の町ではない。また、この町には漁村も漁港もない。遠いのだ。もし網神社があるとすれば、それは魚を捕る網と関係しているはずだ。網元が建てた祠かもしれない。
「僕らはIT関係の仕事をしています。だから、ネットは大事なんです」
 カップルの男の方が、語り出した。
「ツイッターで、誰かがつぶやいたんですよ。ネット神社があるって、そこからあっという間に展開して、そこをIT関係の聖地にしようって。それって、どこでもいいんですよ。冗談なんだから。でも、その冗談が現実になって、聖地参りをすることになったんです」
「それは、IT業界公認ですか」
「そんな団体ないです」
「ああ」
「個人が勝手に言い出したことなので」
「しかし、ITと神社参りは、妙な組み合わせですなあ」
「どちらもバーチャル度が高いですから、意外と近いんですよ」
「ああなるほど」
 このカップルは、ネット神社参りで偶然知り合ったらしい。本隊は駅前の飲み屋へ分散して入るようだ。
「いやいや、地元でも分からない祭りがまだあったのかと思い、やや驚いていましたが、ネットだったとは、思いもよりませんでした」
「大勢押し掛けて、ネット神社近くの人、驚いてましたよ」
「そうですねえ。説明が大変だ」
 増田は、その網神社を聞き出し、寄ってみることにした。
 そこは住宅地の狭い路地沿いにある小さな祠だった。確かにこんな場所に大勢が押し掛ければ、路地沿いの住人は驚くだろう。
 増田は、郷土史をやっている友人に聞くと、網神社は確かに存在するが、それは藁で編んだツナのことで、ネットとは関係がないらしい。
 藁細工の職人が、個人的に建てた祠だということだ。
 
   了


2012年7月11日

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