小説 川崎サイト

 

田植え仲間

川崎ゆきお


 雨は昔から降っている。しかし、降り続けているわけではない。一年中降っている地域もあるだろうが、それは雨というより、ガスかもしれない。意外とそういうところの方が雨足は穏やかなように感じられる。降りすぎて、疲れたのだろうか。
 また、雨が降らない地域もある。砂漠などの乾燥地帯だ。これも全く降らないわけではなく、たまには降るだろう。
 吉田が住んでいる場所は、四季のある地域だ。雨も降れば雪も降る。暑い日もあれば寒い日もある。
 この地域には弱点がある。暑さでも寒さでも雨量の多さでもない。湿気だ。蒸し暑いのだ。
 そのため、この湿気が一番困るので、その対策が一番大事となり、梅雨時の湿気対策をメインとした家屋となっている。だが、これは昔の話だ。
 吉田が住んでいる場所は一般的なのだが、これもまたローカルなのだ。そのため、吉田は遠い場所、風土の違う場所に便りを出すとき、気候の挨拶は避けている。
 吉田は決して特殊な地域に住んでいるわけではないが、いつの間にかそれが一般的な場所として常識化している。ここに常識のトリックがある。本人は気が付かないのだ。自分がそうだから、相手もそうだと思ってしまう。だが、すべての人が、そうだと思うような共通事は、ないのかもしれない。
 しかし、地域により違う。というのは共通して言える。「同じ」より「違い」の方が普遍性がある。違っていることが普遍的なのだ。
 吉田は友達が少ない。その吉田の友達で、高浜という男がいる。彼は友達が多い。その内訳を観察すると、高浜と似たような人間が多い。
 高浜は同類を集めているのだ。だから、高浜の友達は、みんな仲がいい。
 吉田はそれが気にくわない。仲良しグループをいくら膨らませても、変化は少ないからだ。
 吉田も昔は仲良しグループを作っていた。だが、飽きてきた。変化がないからだ。刺激がないためだ。
 異質なものと接することにより、何かが発生する。これは宇宙の始まりから、今日に至るまでの道のりではないかと思っている。
 この季節、吉田の近くでは田に水が入る。海が出来たような感じだ。ただ、年々その規模は小さくなり、今は海が池程度になっている。
 しかし、昔は村人全員で田植えをしていたはずだ。
 この田植え行動が、村人根性を長年にわたり植え付けたのではないかと吉田は考えている。吉田説ではなく、誰かの本に書かれていたが、そんなきつい言い方ではない。
 同じであることが好ましい。これが綿々粛々続いていたのだ。
 しかし、個々の人間は、違う面の方が多い。それを無理に合わせているのだ。だから、本音と建て前が出来てしまう。
 というようなことも、吉田は本で読んだことがある。
 さて、その吉田だが、高浜が気に入らない。吉田と高浜は友達だ。吉田にとり、高浜は数少ない友達の一人だ。そして、吉田流の友達なので、高浜とは好みが違う。同類ではない。異質な存在なのだ。それだけに刺激があり、いい意味で勉強になる。相容れない箇所が多いだけに、反発しあった関係だ。そのため、意外な反応物が得られる。
 吉田は年々、この高浜が気に入らなくなっている。今はもう顔を見ただけでも不快なのだ。それでも交際している。
 同類集合体の欠点を思いついたのも、この高浜のおかげだ。だから、気分が悪く、腹立たしかっても、得るものがある。
 そう考えると、悪くはない。
 虎の住む穴に入らないと、虎の子をゲットできないという意味だろう。
 しかし、それで得た虎の子に価値があるのかどうかは分からないが。そこは吉田の主観的判断で決まる。
 さらに考えると、吉田にとっての友人観が、他人とは違うのかもしれない。その目的が違えば、その後も違ってくるためだ。
 
   了

 


2012年7月15日

小説 川崎サイト