小説 川崎サイト

 

お寺参り

川崎ゆきお


 ある日、田村は孫から妙な質問を受けた。
「お年寄りはどうしてお寺参りが好きなの」
 確かに田村も最近寺や神社に行くことが多くなった。そして、孫にお守りや、土産物をよく買って帰る。
 言われてみて、やっとそれに気付く。なぜだろうかと。
「仏さんになるのが近いから、先に見に行くの」
 田村はそうではないと考えている。この孫はお寺と葬式を重ねて考えているのだろう。
 では何だろう。
「お爺ちゃんは昔から線香臭いことが好きだったの?」
 孫が線香臭いという言葉を知っていることに田村は驚いた。誰かから聞いたのだろう。線香臭いとか抹香臭いとか。
「変わりにくいからだ」
 田村は一応答えを見つけた。その場で考えたのだから、即答だ。
「変わりにくい?」
「どこもかしこも変わっていく。しかし、お寺や神社はお爺ちゃんの子供時代や、そのまたお爺さんの時代と、それほど変わっていないんだよ。それがいいのかもしれん。いつ行っても同じだから」
「じゃ、お山は」
「ああ、山もそうだね。だからお年寄りのハイカーは結構多いよ。あれは健康のためだけじゃなく、風景を見に行くんだ。山道もあまり変わっておらんからな」
「変わらないことがいいの」
「変化ばかりしていると、今自分がどこにいるのかが分からなくなる。だから、落ち着かないんだよ」
「それで、お寺参りをするの」
「行って帰ればそれで済むから、楽なんだ」
「お参りをするんでしょ」
「数秒さ」
「それ、面白い」
 その質問に田村は即答できなかった。それほど面白くはないのだ。
「お参りに面白さを求めてはいけないんだよ。漫才を見に行くんじゃないのだから」
「じゃ、面白くないの」
「面白さは実はつまらんのだ」
 田村はこれも即答で、勢いで答えてしまった。
「面白いことは面白くないの?」
「そうだよ。最初から面白いと、もう面白くないから」
 確かに田村は面白さを期待しなくなっていた。面白がるのに疲れたのだろうか。そのため、面白くもないようなことに触れている方が案外楽なのだ。
「僕もお年寄りになると、お寺参りをするのかなあ」
「ああ、気がついたらそうなってるかもしれないよ」
「まだ、お寺、あるかなあ」
「ああ、まだあるだろう。小学校の校舎は消えても、お寺は残っていることが多いからね」
「何十年たっても、同じものを見られるんだね」
「そうだ。変わったのは自分だけ、というのがいいんだ」
「わかった」
「本当に?」
「ちょっとだけ」
「うむ」
 
   了

 


2012年7月25日

小説 川崎サイト